ルイ=オーギュスト・ジラルド
ルイ=オーギュスト・ジラルド(Louis-Auguste Girardot、1856年9月27日 - 1933年4月23日[1])はフランスのオリエンタリズムの作品を描いた、画家、版画家である。
ルイ=オーギュスト・ジラルド Louis-Auguste Girardot | |
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ジラルド作の絵葉書 | |
生誕 |
1856年9月27日 フランス,ルラン=ヴェルシャン(Loulans-Verchamp) |
死没 |
1933年4月23日 フランス,パリ |
運動・動向 | オリエンタリズム |
略歴
編集オート=ソーヌ県のルラン=ヴェルシャン(Loulans-Verchamp)で商人の息子に生まれた[2]。1881年から1886年の間、パリ国立高等美術学校で、ジャン=レオン・ジェロームやポール・デュボアに学んだ[3].。1887年に作品が国に買い上げられ、マリ・バシュキルツェフ賞(prix Marie Bashkirtseff)を受賞した。旅行奨学金を得て、スペイン、アルジェリア、モロッコを旅し、オリエンタリズムの作品を描くようになった。1880年にはモロッコのタンジェでジュール=アレクシ・ミュニエ(1863-1942)やジョルジュ・ブレタニエール(Georges Brétegnier: 1860-1892)といった画家と活動し、彼らや、パスカル・ダニャン=ブーベレ(1852-1892)とモロッコのテトゥアンまで写生旅行をした。
1890年に国民美術協会の会員に選ばれ、国民美術協会の展覧会に出展を続けた。
1897年に月刊の版画雑誌「レスタンプ・モデルヌ(L'Estampe Moderne)」に多色版画の作品「リーフ地方の女性(Femme du Riff)」を発表し、1900年のパリ万国博覧会にポスターを出展し、アルジェリア館で開催された、オリエンタリズム画家展(exposition des peintres orientalistes)のオーガナイザーになった。
1903年にレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した[4]。
1907年にフランス・オリエンタリスト画家協会(Société des Peintres Orientalistes Français)の展覧会に出展し、ナスレディーヌ・ディネ、ヴィクトール・プルーヴェ、ジャン=アドルフ・シュダン(Jean-Adolphe Chudant: 1860-1929)らと商業美術家の全国組織(Union provinciale des arts décoratifs)の設立に貢献した。
1911年にフランス植民地の首長の授与する勲章(l'ordre du Nichan el Anouar)を受勲した。
作品
編集脚注
編集- ^ Rue d'Assas.
- ^ Revue de Champagne et de Brie, Tome 1, 1889, p. 613 (sur Gallica).
- ^ « Catalogue de l'ENSBA »
- ^ Archives nationales de France, base Léonore cote LH/1147/50.
参考文献
編集- Lynne Thornton, La Femme dans la peinture orientaliste, ACR, 1985, (ISBN 9782867700118).