リーナ・ブルーナ・ラーザ
リーナ・ブルーナ・ラーザ(Lina Bruna Rasa, 1907年9月24日 - 1984年10月20日)は、イタリアのソプラノ歌手[1][2]。
リーナ・ブルーナ・ラーザ Lina Bruna Rasa | |
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生誕 |
1907年9月24日 イタリア王国、パドヴァ |
死没 |
1984年10月20日(77歳没) イタリア、ミラノ |
ジャンル | クラシック |
職業 | ソプラノ歌手 |
生涯
編集パドヴァの生まれ。14歳から地元でグイド・パルンボとイタロ・タバリンに声楽を教わったあと、ミラノでマンリオ・バヴァニョーリの薫陶を受けた。1925年にポリテアマ・ジェノヴェーゼ劇場でアッリーゴ・ボーイトの《メフィストフェレ》にエレナ役として出演してデビューを果たし、翌年にはレージョ劇場でも歌ったうえ、1927年にはアルトゥーロ・トスカニーニに見初められてスカラ座で同役で出演して脚光を浴びた。その後は、ニコライ・リムスキー=コルサコフの《サルタン皇帝》のイタリア初演や、エルマンノ・ヴォルフ=フェラーリの《スライ》の上演等に参加し、イタリア国内のみならず、フランス、スペイン、エジプトの各都市の歌劇場に客演して名声を得た。1931年にはピエトロ・マスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》のサントゥッツァ役を歌ったが、この時、指揮をしていた作曲者本人に激賞され、この役が彼女の当たり役となった。1935年には同じくマスカーニの《ネローネ》の初演に参加したが、この年に母親を亡くした影響で、次第に精神的に変調をきたすようになり、1937年にはオペラ上演中にオーケストラ・ピットに転落する事故を起こしている。1942年にペーザロで《カヴァレリア・ルスティカーナ》を歌った後、ミラノの精神病院に入院し、事実上オペラ歌手として引退を余儀なくされた。1948年に再起をかけてツアーを組んだことがあるものの、結局病状が回復せず、歌手活動を断念した[3]。
1931年に《アンドレア・シェニエ》[4]、40年に《カヴァレリア・ルスティカーナ》の全曲レコーディングを行っている[5]。
出典
編集- ^ “Lina Bruna Rasa Video”. Ovguide. 2014年6月27日閲覧。
- ^ 山崎浩太郎 (2005年9月2日). “第3回「ラ・マンマ・モルタ」”. HMV. 2014年6月27日閲覧。
- ^ “LINA BRUNA RASA (b. Padova 1907 d. Milano 1984) – A tragic destiny!”. Opera Gems. 2014年6月27日閲覧。
- ^ “ジョルダーノ:歌劇「アンドレア・シェニエ」(ミラノ・スカラ座管/モラヨーリ)”. Naxos Music Library. 2022年3月16日閲覧。
- ^ “マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(ミラノ・スカラ座管/マスカーニ)(1940)”. Naxos Music Library. 2022年3月16日閲覧。