リンゼイ・ケンプ(Lindsay Kemp, 1938年5月3日 - 2018年8月25日イングランドチェシャー生まれ[1])は、イギリス出身の舞踊家俳優[2]教師マイムアーチスト振付家[3]。ケンプのダンスパフォーマンスは、大野一雄らの前衛舞踏Butō)、パントマイム、ブルレスクミュージックホールの演劇を融合/折衷させたようなスタイルである。

リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプ
リンゼイ・ケンプのポートレイト1969年アラン・ウォーレン英語版撮影
本名 Lindsay Kemp
生年月日 (1938-05-03) 1938年5月3日
没年月日 (2018-08-25) 2018年8月25日(80歳没)
出生地 イングランドの旗 イングランド チェシャー
死没地 イタリアの旗 イタリア リボルノ
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業 舞踊家俳優
活動期間 1963年 - 2018年
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リンゼイ・ケンプのポートレイト、1979年

経歴

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ケンプの父は船乗りだったが、1940年に海で行方不明になった[4]。ケンプ自身によると、彼は非常に幼いころから踊っていたという。「お隣さんたちを楽しませるために、よくキッチンテーブルの上で踊っていたものさ。小さな男の子がすっかりめかしこんで、爪先立ちで踊っているなんてのは、サウス・シールズでは斬新だったよ。最後は母が少し持て余してしまってね、僕を8歳でボーディング・スクールに送り込むことにした。いくらか常識を叩き込んでもらおうと思ったんだね。」[4]

ケンプの母親はサウス・シールズから離れたところに暮らすようになり、ケンプはウォーキンガムの近くのベアウッド・カレッジ英語版に入学した。この学校は商船員の子弟が通う学校である[4]ケンプと母親は、のちにヨークシャーブラッドフォードに引っ越した。ここでケンプはブラッドフォード芸術カレッジに入学した。その後、ヒルデ・ホルガーダンスを学び、マルセル・マルソーにマイムを学んだ[要出典]1963年クリストファー・プラマーを主演として、エルシノア城で映画化された、BBCシェイクスピア生誕400年祭企画「ハムレット」で、ケンプは「劇中劇の王妃」の役をやった。[1]

ケンプは60年代初期に自分のダンスカンパニーを結成したが、はじめて脚光を浴びたのは1968年のエジンバラ・フェスティバルへの出演だった。1970年代始めごろ、リンゼイ・ケンプはダンスやマイムの教師として人気があり[4]デヴィッド・ボウイ[5][6]ケイト・ブッシュがケンプのクラスに参加していた[5]。ケンプは欧米の文化人としてはかなり早い時期から日本文化に興味を抱いており、自身のダンススクールで積極的に歌舞伎を研究した[7]。ケンプ自身は、衣笠貞之助1926年無声映画狂つた一頁』に強い影響受けたとインタビューで語っている[7]。また、日本の音楽プロデューサー、作詞家、演出家である大輪茂男の著作『童話集 夜出る魚達の船』の表紙のアートワークを提供している。

1970年代の活動としては、デヴィッド・ボウイが「ジギー・スターダスト」名義で行った一連の公演( Ziggy Stardust concerts として知られる)のたとえば、1972年8月のロンドン、レインボウ・シアター公演などに出演した。また、ミック・ロック英語版が監督したボウイのシングル "John, I'm Only Dancing" のプロモーションビデオにも Jack Birkett とともに登場する。1979年にケンプはイングランドからスペインに移住し、その後、遅くとも2002年にはイタリアローマトーディに移り住んだ[4]

ケンプは映画においては性格的な脇役を演じることが多かった。たとえば、ケイト・ブッシュの短編映画 The Line, the Cross & the Curve (1994)や[2]デレク・ジャーマンの『セバスチャン』(1976)ではダンサー[8]、『ジュビリー』(1977)ではキャバレー出演者の役を演じた[8]トッド・ヘインズの『ヴェルヴェット・ゴールドマイン』(1998)ではパントマイムの淑女を[2]アンソニー・シェーファー監督『ウィッカーマン』(1973)では宿屋の主人を演じた[2][8]

出演した舞台演劇としては、 Pierrot In Turquoise, Flowers, Salome,[4] Mr Punch's Pantomime,[3] A Midsummer Night’s Dream,[3] Duende,[3] Nijinskij,[3] Alice,[3] Cenerentola (Cinderella),[3] Sogno di Nijinscky or Nijinscky il matto (1983) (translation: Nijinscky's dream or Nijinscky the mad), Facade, The Big Parade, Alice, Onnagata女形), Cinderella, Varieté, Dream Dances, などがある。また、バレエとしては、 Rambert, Parades Gone By (1975) と Cruel Garden (1977)がある。

1991年のドキュメンタリー映画 Travelling Light は、リンゼイ・ケンプのドキュメンタリー・ポートレイトである[9]

2018年8月25日イタリアリボルノにてこの世を去った[10]。80歳没。ゲイであることを公にしていた[11][12]

出演映画

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  • The Vampire Lovers (1970), as Jester.[1]
  • Savage Messiah (1972),[2] as Angus Corky.
  • The Wicker Man (1973),[2] as Alder MacGregor.
  • The Stud (1974), as Topstar.[1]
  • Sebastiane (1976),[2] as Dancer.
  • Jubilee (1977), as Cabaret performer.
  • Valentino (1977), as Mortician.[2]
  • A Midsummer Night's Dream for TV (1985),[2] as Puck.
  • Cartoline italiane (Italian Postcards) (1987).[2]
  • The Line, the Cross & the Curve (1993),[2] as 'Guide'.
  • Velvet Goldmine (1998),[2] as Pantomime Dame.
  • スペインのテレビ番組La Mandrágoraに2005年と2006年の2度にわたりゲスト出演。

出典

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  1. ^ a b c d British Film Institute entry for Lindsay Kemp”. 2016年1月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Lindsay Kemp - About This Person”. The New York Times. 2016年1月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g L'uccello di fuoco” (イタリア語). nonsolocinema.com (2009年3月2日). 2016年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f Smith, Rupert (2002年1月30日). “'I first danced Salome in school, naked but for some toilet paper' -- As he brings his greatest hits show to the West End, Lindsay Kemp talks to Rupert Smith about his outrageous career”. Gurdian. 2016年1月18日閲覧。
  5. ^ a b Dillard, Brian J. (2011年3月25日). “Kate Bush: Live at Hammersmith Odeon (1979)”. The New York Times. 2016年1月18日閲覧。
  6. ^ Brown, Mick (1974年9月). “Lindsay Kemp: The Man Who Taught Bowie His Moves.”. 2016年1月18日閲覧。
  7. ^ a b Helene M. Thian (2013年6月11日). “For David Bowie, Japanese style was more than just fashion”. 2016年1月14日閲覧。
  8. ^ a b c Gallagher, Paul (2011年2月10日). “Lindsay Kemp’s Last Dance”. Dangerous Mind. 2016年1月18日閲覧。
  9. ^ TRAVELLING LIGHT (1991)”. 2016年1月18日閲覧。
  10. ^ “振付師のリンゼイ・ケンプ氏死去、デビッド・ボウイさんにダンス教える”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2018年8月26日). https://www.sanspo.com/article/20180826-AFSYZMVXFZOEJBECZPD2KMCEP4/ 2018年8月26日閲覧。 
  11. ^ Thian, Helene M. (11 June 2013). “For David Bowie, Japanese style was more than just fashion”. http://www.japantimes.co.jp/life/2013/06/11/style/for-david-bowie-japanese-style-was-more-than-just-fashion/ 8 June 2016閲覧。 
  12. ^ Spitz, Marc (2009). Bowie: A Biography. New York City: Three Rivers Press. p. 85. ISBN 978-0-307-71699-6. https://books.google.com/books?id=40E4NTy26qYC&lpg=PA85&ots=zOckwngDhf&dq=%22Lindsay%20Kemp%22%20-wikipedia%20openly%20gay&pg=PA85#v=onepage&q=%22Lindsay%20Kemp%22%20-wikipedia%20openly%20gay&f=false 8 June 2016閲覧。 

外部リンク

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