リプリーズ・レコード
リプリーズ・レコード(英語:Reprise Records)はアメリカのレコードレーベルである。フランク・シナトラとワーナー・ブラザース・レコード(現:ワーナー・レコード)の共同出資で設立され、当初はシナトラの作品と彼の音楽仲間であるサミー・デイヴィス・ジュニアやディーン・マーティンらのレコードを発売する為の会社であった。後にシナトラがレコード会社の経営に興味を失ったことにより、1963年にワーナー・ブラザース・レコードが彼の株を買い取り吸収合併した。
リプリーズ・レコード Reprise Records | |
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親会社 | ワーナー・ミュージック・グループ |
設立 | 1960年 |
設立者 | フランク・シナトラ |
販売元 | ワーナー・ミュージック・グループ ビクター・ワールド・グループ (日本ビクター) (1961年 - 1970年) ↓ ワーナーブラザーズ・パイオニア (1970年 - 1972年) ↓ ワーナー・パイオニア (1972年 - 1990年) ↓ ワーナーミュージック・ジャパン (1991年 - 現在) |
ジャンル | ポップス全般 |
国 | アメリカ合衆国 |
合併当初はワーナー・ブラザース・レコード内の事業部として、独立会社時代と同様の運営がされていたが、次第に若者向けのロックにも進出するようになった。それと共に、1960年代末頃からはワーナー・ブラザースとリプリーズのスタッフはほぼ同一となり、レコード盤上のラベルのみの違いとなった。同じアーティストの作品でも、前作はリプリーズのラベルが付いていたが今作はワーナー・ブラザースのラベルが付くというようなことが少なくない。
ワーナーブラザーズ・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパン)設立前(1960年~1970年)には、当時の日本ビクター・音楽レコード事業部(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)の洋楽事業部かつ社内カンパニーだったビクター・ワールド・グループが日本での契約先だった。なお、日本のワーナー(ワーナーブラザーズ・パイオニア → ワーナー・パイオニア → ワーナーミュージック・ジャパン)のアーティストもこのレーベルを冠した時期があり、主に小柳ルミ子や中森明菜らの邦楽歌手を発売した。
沿革
編集- 1960年 フランク・シナトラとワーナー・ブラザース・レコードの折半出資により設立。
- 1963年 フランク・シナトラの持分をワーナー・ブラザース・レコードが買い取り、同社に吸収合併。リプリーズ・レーベルは若者向けポップスに使用された。
- 1972年 ニール・ヤングの「孤独の旅路」が大ヒットした。
- 1976年 ワーナー・ブラザースはリプリーズ・レーベルの使用を停止し、シナトラとニール・ヤング以外の所属アーティストをワーナー・ブラザース本体に移籍。
- 1985年 ドリーム・アカデミーがリプリーズのロゴの入ったワーナー・ブラザースレーベルのアルバムを発売しヒット。
- 1987年 ワーナー・ブラザースはリプリーズ・レーベルの再開を発表。モー・オースティンとレニー・ワロンカーが共同発表。
- 2010年 カントリー部門を新設。
経営者
編集独立企業時代のリプリーズの社長は、フランク・シナトラがヴァーヴ・レコードから引き抜いたモー・オースティンである。彼は後にワーナー・ブラザース・レコードの社長・会長を歴任することになる。
オースティンの下でリプリーズを若者向けロックに進出させたのが、A&R担当のレニー・ワロンカーである。彼もオースティンの後を受けてワーナー・ブラザース・レコードの社長となった。
オースティンとワロンカーはワーナー・ブラザース・レコードを退任した後、共同でドリームワークス・レコードの経営を行った。
主なアーティスト
編集- エリック・クラプトン
- エンヤ
- キャプテン・ビーフハート・アンド・ザ・マジック・バンド
- キンクス
- グリーン・デイ
- サミー・デイヴィスJr.
- ジェスロ・タル
- シカゴ
- ジミ・ヘンドリックス
- ジャック・ニッチェ
- ジョニ・ミッチェル
- TAKE 6
- ディーン・マーティン
- デフトーンズ
- デュアン・エディ
- トリニ・ロペス
- ナンシー・シナトラ
- ニール・ヤング
- フランク・シナトラ
- フリートウッド・マック
- マイ・ケミカル・ロマンス
- マッドハニー
- ライ・クーダー
- ランディ・ニューマン
- ロキシー・ミュージック
注:過去に所属していたアーティストも含む。
リプリーズレーベルに所属していた邦楽アーティスト
編集関連項目
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 「愛は傷つきやすく」などがヒット