リッキー・ブルーフ
リッキー・ブルーフ(Ricky Bruch、Björn Rickard "Ricky" Bruch、1946年7月2日 - 2011年5月30日)は、スウェーデンの陸上競技選手。1960年代から1980年代にかけて活躍した円盤投の選手で、1972年ミュンヘンオリンピックの銅メダリストである。
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選手情報 | ||||||||||||||||||||||||
フルネーム | Björn Rickard Bruch | |||||||||||||||||||||||
国籍 | スウェーデン | |||||||||||||||||||||||
種目 | 円盤投 | |||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1946年7月2日 | |||||||||||||||||||||||
没年月日 | 2011年5月30日(64歳没) | |||||||||||||||||||||||
身長 | 199cm | |||||||||||||||||||||||
体重 | 135kg | |||||||||||||||||||||||
自己ベスト | 円盤投 : 71m26 (1984年) | |||||||||||||||||||||||
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編集 |
経歴
編集ブルーフは身長199cm、体重135kgのヴァイキングを思わせる風貌で、スウェーデン南部のスコーネ地方で育った。
ブルーフが陸上選手として頭角を現し始めたのは1960年代中盤で、当時は砲丸投をメイン種目としていた。後に円盤投に種目を替え、1968年にはメキシコシティーオリンピックに出場。59m28で初めてのオリンピックは8位に終わった。
1969年にはヨーロッパ選手権で2位となると、同年にはアメリカのジェイ・シルベスターの世界記録に迫る68m04のヨーロッパ記録を樹立。世界の強豪の仲間入りを果たしていく。1970年に入ると、シルベスターとともに70mの大台を目指して激しい攻防が繰り広げられた。2人とも何度か70mを超えるスローを行ったが、風の影響や、円盤の重量の違反などでいずれも公認されることはなかった。
ブルーフは、1972年にストックホルムの試合で、シルベスターの世界記録に並ぶ68m40を出す。しかし、同年のミュンヘンオリンピックでは、チェコスロバキアのルドビク・ダネク、シルベスターに次いで銅メダルにとどまった。
ブルーフは、その後伸び悩み、1974年のヨーロッパ選手権で3位となった以降は目立った成績を残さなくなる。1976年モントリオールオリンピックには出場したものの、決勝に残ることなく敗れている。
ブルーフは、1970年代後半から競技を一旦中断したものの、1984年に38歳になりカムバックを果たす。1984年の9月から11月にかけて70m48、71m00、71m26と立て続けに70m台を記録。かつて何度も挑んだ70m台をクリアした。しかしすでにこのときの世界記録は71m86まで更新されていた。しかし、翌年、ブルーフはチームメートとのいざこざにより競技から引退することとなった。
ブルーフの71m26の記録は2008年現在でも世界歴代10位以内に入る記録であり、スウェーデン記録である。
自己ベスト
編集- 砲丸投 - 20m08 (1973年)
- 円盤投 - 71m26 (1984年)
主な実績
編集年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
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1968 | オリンピック | メキシコシティ(メキシコ) | 円盤投 | 8位 | 59m28 |
1969 | ヨーロッパ陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 円盤投 | 2位 | 61m08 |
1971 | ヨーロッパ室内陸上選手権 | ソフィア(ブルガリア) | 砲丸投 | 3位 | 19m50 |
1972 | オリンピック | ミュンヘン(西ドイツ) | 円盤投 | 3位 | 63m40 |
1974 | ヨーロッパ陸上選手権 | ローマ(イタリア) | 円盤投 | 3位 | 62m00 |
脚註
編集- ^ Ruotsalainen yleisurheilulegenda kuoli Ilta-Sanomat 2011-5-30
外部リンク
編集- リッキー・ブルーフ - Olympedia