リチャード・ウィンフィールド (第5代ポーズコート子爵)
第5代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールド(Richard Wingfield, 5th Viscount Powerscourt、1790年9月11日 – 1823年8月9日)は、イギリスの政治家、アイルランド貴族。アイルランド貴族代表議員を務めた[1]。
生涯
編集第4代ポーズコート子爵リチャード・ウィンフィールドと1人目の妻キャサリン(1770年10月7日 – 1793年2月17日、初代クランウィリアム伯爵ジョン・ミードの娘)の息子として、1790年9月11日に生まれた[1]。1809年7月19日に父が死去すると、ポーズコート子爵位を継承した[1]。
家族
編集1813年2月6日、フランシス・セオドシア・ジョスリン(Frances Theodosia Jocelyn、1795年8月10日 – 1820年5月10日、第2代ローデン伯爵ロバート・ジョスリンの娘)と結婚[1]、1男1女をもうけた[2]。
- リチャード(1815年1月18日 – 1844年8月11日) - 第6代ポーズコート子爵[1]
- キャサリン(1817年2月19日 – 1845年12月25日) - 1835年12月21日、アンドルー・ゴドフリー・ステュアート閣下(Hon. Andrew Godfrey Stuart、第2代キャッスル・ステュアート伯爵ロバート・ステュアートの四男)と結婚、子供あり[3][2]
1822年6月29日、セオドシア・ハワード(1836年12月31日没、ヒュー・ハワード閣下の娘)と再婚した[1]。2人の間に子供はいなかった[2]。
出典
編集- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1945). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Oakham to Richmond) (英語). Vol. 10 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 638–639.
- ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1939.
- ^ Lodge, Edmund, ed. (1869). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (38th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 453.
外部リンク
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