エレア・パークL.A. Park)のリングネームで知られるアドルフォ・タピアAdolfo Margarito Tapia Ibarra1965年11月14日 - )は、メキシコプロレスラーコアウイラ州モンクローバ出身[1]

エレア・パーク
エレア・パークの画像
プロフィール
リングネーム エレア・パーク
ラ・パルカ(初代)
ラ・パルカ・オリジナル
エル・グリンゴ
インバーソル・デル・ノルテ
エル・アサシノ・デ・テピート
エル・ミネロ
プリンシペ・イスラ
アドルフォ・タピア
本名 アドルフォ・マルガリート・タピア・イバーラ
ニックネーム 骸骨仮面
踊るドクロ仮面
ラ・オリジナル
身長 186cm
体重 100kg
誕生日 (1965-11-14) 1965年11月14日(59歳)
出身地 メキシコの旗 メキシコ
コアウイラ州モンクローバ
所属 AAA
トレーナー アルベルト・モーラ
ラウル・レイエス
デビュー 1982年
テンプレートを表示

かつてはラ・パルカLa Parka)として活動していた。ニックネームは骸骨仮面

エル・イホ・デル・シエン・カラスは兄弟ではないかといわれている。叔父にボラドール改めスペル・パルカ。従弟にボラドール・ジュニア。息子はブラック・スピリット

来歴

編集

アルベルト・モーララウル・レイエスのコーチを受け、1982年に本名でデビュー。1985年2月17日のエル・ミネロ時代にクライマックス2号コントラマッチで敗れ素顔になる[2]1988年8月3日のエル・アサシノ・デ・テピート時代にもアストロ・デ・オロに敗れ素顔になっている[2]1991年6月26日のインバーソル・デル・ノルテ時代にもストゥーカに敗れ素顔になっている[2]1992年5月にAAAの旗揚げ戦にルードの骸骨コスチューム「ラ・パルカ」として登場。1994年にナショナル・ライトヘビー級を奪取。同年11月、新日本プロレスの『AAAルチャ・ワールド』に初来日。

1995年5月にWCWと契約。1998年の結成のエディ・ゲレロを中心としたLWO(ラティーノ・ワールド・オーダー)のメンバーとして活躍。2000年にWCW解雇。2002年に全日本プロレスファンタジーファイトWRESTLE-1に来日、2003年11月にも全日本プロレスに来日。ラ・パルカ・オリジナル[3]として、パルカ・ゲレーラ[4]と組んで、世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦した。

そのほかにもCMLL、XPW、MLW、AWAなどを転戦。2004年には、LA Par-Kの名でTNAに参戦

メキシコではAAAを退団したため同団体が「ラ・パルカ」の商標権を持つため名前が使えず、エレア・パークの名でCMLLに登場。

2008年はCMLL、2009年からはAAAに復帰。しかし、AAAに「ラ・パルカ」として活動するレスラーがいるため、AAAでもエレア・パークの名前を継続使用している。

得意技

編集
スピアー
ラ・パーキネーター
コークスクリュー・ムーンサルト
スカルボム
サンセットフリップの体勢からパワーボムを仕掛ける。
スカイツイスタープレス
延髄斬り
スピニングヒールキック
エルボー

獲得タイトル

編集
AAA
CMLL
w / ショッカー
WWA
  • WWAライトヘビー級王座 : 2回

他、メキシコの団体のタイトルを多数獲得。

入場曲

編集

脚注

編集
  1. ^ L.A. Par-K”. Wrestlingdata.com. 2015年12月4日閲覧。
  2. ^ a b c L.A. Park - Luchawiki”. Luchawiki.com. 2013年7月27日閲覧。
  3. ^ AAAで2代目のラ・パルカが活動していることを考慮した名称である。
  4. ^ ラ・パルカ・と似たデザインで骨の部分を赤色にした前身タイツ・覆面のレスラー。当初は正体が不明とされたが、後年に週刊プロレス誌上で、NOSAWA論外が自身が正体であると明かした。

関連項目

編集

外部リンク

編集