ラシッド・ムッフーク
ラシッド・ムッフーク(Rachid Mouffouk、1955年1月29日 - )は、アルジェリアの彫刻家。
ラシッド・ムッフーク Rachid Mouffouk R. K. | |
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ラシッド・ムッフーク(2014年12月) | |
生誕 |
1955年1月29日(69歳) フランス領アルジェリア、バトナ県、バトナ |
国籍 | アルジェリア |
著名な実績 | 彫刻 |
流派 | 美術品回復(Recuperation) |
生い立ちと背景
編集ラシッド・ムッフークは、1955年1月29日、フランス領アルジェリアのバトナに生まれた。双子の弟がいる。生後、体格が小さく虚弱児であったので、家族は成長しないと考えていた[1]。1962年から小学校に通い始める[1]。ラシッドは、美術の専門教育は受けていないが、少年時代に絵を描き始める[2]。
作品
編集ラシッド・ムッフークの彫刻の処女作は、ローマ神話の狩の女神、ディアーナ像である。このディアーナ像は、彫刻家のモハメド・ウーファニ(Mohamed Houfani)が彼に与えた木片から制作したものである[2]。1991年アルジェリア内戦が勃発すると制作活動は中断を余儀なくされた[2]。ラシッド・ムッフークは、アルジェリアに進出していたアメリカ系企業で溶接工の仕事を得た。建設現場で溶接工として勤務の傍ら、作品を展示すると[3]、会社の重役はラシッド・ムッフークに工事現場でさらに作品を展示する機会を提供した[3]。
2006年11月、アモクレーヌ・オシン(Amokrane Hocine)の小説Le fou et le muetのカバー写真は、ラシッド・ムッフークの2つの彫刻"Le fou"と"écologie"の写真が掲載された[4]。2010年ラシッド・ムッフークは、事故で右手の指を3本失った[5]。 in an accident that occurred in his workshop[6][5]事故の2ヵ月後、ラシッド・ムッフークはワークショップを開催し、金属彫刻「わが三本の指」(Mes trois doigts)を制作した[2][7]。
脚注
編集- ^ a b Mouhamed, Boukerch (May 18, 2008) (Arabic). The ancient sculptor Rachid Mouffok Batna Algeria .
- ^ a b c d “The sculptor Rachid Mouffouk” (Arabic). An Nasr. (April 4, 2011) .
- ^ a b Gribissa, Lounes (February 4, 2011). “For the reconquest of cultural spaces: "Dialogue state and artists"” (French). El Watan 6177: 15. ISSN 1111-0333 .
- ^ Amokrane, Hocine (2006) (French). Le fou et le muet (Roman). A.Guerfi. p. 7
- ^ a b Amamra, Said Med El Hadi (November 15, 2010). “Mouffok rachid: "Victim of his art .."” (French). Batna Info .
- ^ Boumaila, Belkacem (January 16, 2012). “Rachid Mouffok, sculptor: "Imaginary free"” (French). Liberté 5896: 18. ISSN 1111-4290 .
- ^ Amokrane & Mouffouk 2011, p. 115.
関連図書
編集参考文献
編集- Amokrane, Hocine; Mouffouk, Rachid (2011) (French). L'Abysse et le firmament. A.Guerfi & Cie. pp. 124
- Abrous, Mansour (2006) (French). Dictionnaire des artistes algériens: 1917-2006. L'Harmattan. pp. 123. ISBN 9782296016903