ラオディケ3世
ラオディケ3世(ギリシャ語: Λαοδικη Γ΄, ラテン文字転写: Laodice III)は、ポントスの王女で、セレウコス朝の王妃。紀元前212年から206年にかけて、夫のアンティオコス3世の東方遠征中に、長男アンティオコスの摂政を務めた。アンティオコスは紀元前193年に、彼女を崇拝する王室カルトを作った。紀元前192年、彼女は夫の再婚によって政治から距離を置いた。記録から分かっている彼女の最後の動静は、息子のセレウコス4世の裁判に関するもので、紀元前177年から176年の時のものである[1]。
ラオディケ3世 | |
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ポントス王女 | |
セレウコス朝王妃 | |
在位期間 紀元前222年頃 – 紀元前191年頃 | |
死亡 | 紀元前176年以降 |
王朝 | セレウコス朝 |
配偶者 | アンティオコス3世 |
子女 |
参考文献
編集- ^ Beilman, A. Femmes en public dans le monde hellénistique, Malesherbes, Sedes, 2002, pg 45.