ヨランド2世 (ヌヴェール女伯)
ヨランド2世(フランス語:Yolande II, 1247年12月 - 1280年6月2日)は、ヌヴェール伯(在位:1262年 - 1280年)。
ヨランド2世 Yolande II | |
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ヌヴェール女伯 | |
ヨランド2世の墓像 | |
在位 | 1262年 - 1280年 |
出生 |
1247年12月 |
死去 |
1280年6月2日(32歳没) |
埋葬 | ヌヴェール伯領、ヌヴェール、サン=シール・エ・サント=ジュリエット大聖堂 |
配偶者 | ヴァロワ伯ジャン・トリスタン |
フランドル伯ロベール3世 | |
子女 | 本文参照 |
家名 | ブルゴーニュ家 |
父親 | ヌヴェール伯ウード・ド・ブルゴーニュ |
母親 | ヌヴェール女伯マティルド2世 |
生涯
編集ヨランドはウード・ド・ブルゴーニュとヌヴェール女伯マティルド2世の娘である[1]。
母マティルドが1262年に死去し、ヨランドがヌヴェール、トネールおよびオセールの女伯となった。しかし、1273年にパリ議会の裁定者は遺産を姉妹間で分割することを決定した。ヨランドがヌヴェールとドゥルイェ城を相続し、妹マルグリットとアデライードがトネールとオセールをそれぞれ相続した。また、叔母アニェスはブルボン領を継承した。ヨランドは1272年にフランドル伯ロベール3世とオセールで結婚したが[1]、その後父方の祖父ブルゴーニュ公ユーグ4世が死去した。ヨランドの父ウード(1266年没)がユーグ4世の長子であったため、ヨランドとその夫フランドル伯ロベール3世は長子相続制に従いブルゴーニュ公領の継承権を主張した。しかし、ユーグ4世はその遺言において自身の三男ロベール2世をブルゴーニュ公領の継承者として指名し、ヨランドら孫娘たちには他の領地を継承させることとしていた。裁定者の一人フランス王フィリップ3世は、血縁の近さゆえに叔父ロベール2世をブルゴーニュ公とした。
ヨランドは1265年6月にフランス王ルイ9世とマルグリット・ド・プロヴァンスの息子ヴァロワ伯ジャン・トリスタンと結婚したが[1]、子供が生まれないままジャン・トリスタンは1270年に第8回十字軍においてチュニスで死去した。
子女
編集脚注
編集- ^ a b c Jackson-Laufer 1999, p. 425.
- ^ Morganstern 2000, p. 57.
- ^ TeBrake 1993, p. 36.
- ^ Earp 1996, p. 29.
- ^ Leson 2011, p. 155.
参考文献
編集- Jackson-Laufer, Guida Myrl (1999). Women Rulers Throughout the Ages: An Illustrated Guide. ABC-CLIO
- Morganstern, Anne McGee (2000). Gothic Tombs of Kinship in France, the Low Countries, and England. The Pennsylvania State University Press
- TeBrake, William H. (1993). A Plague of Insurrection: Popular Politics and Peasant Revolt in Flanders, 1323-1328. University of Pennsylvania Press
- Earp, Lawrence (1996). Guillaume de Machaut: A Guide to Research. Garland Publishing
- Leson, Richard A. (2011). “Heraldry and Identity in the Psalter-Hours of Jeanne of Flanders (Manchester, John Rylands Library, MS LAT. 117)”. Studies in Iconography Vol. 32.
- Lespinasse, René de (1909-1914) (ラテン語). Le Nivernais et les comtes de Nevers. Paris: H. Champion
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