ヨハネス・センペル
ヨハネス・センペル(エストニア語: Johannes Semper、1892年3月22日(ユリウス暦では3月10日) - 1970年2月2日)は、エストニアの作家、翻訳家。
ヴィリャンディ県タルヴァストゥ自治体パフヴェレ村生まれ。1910年から27年にかけ、サンクトペテルブルク、リガ、モスクワ、ベルリン、パリの大学で学んだ。1928年からはタルトゥ大学で学び、アンドレ・ジッドについての論文で博士号を取得。1940年にはソビエト連邦の一部だったエストニア・ソビエト社会主義共和国の教育相を務めた。また、同国の国歌の作詞も担当した。タリンにて没。
著書
編集- Punased Nelgid(長編小説、「赤いナデシコ」の意、1969年)
参考文献
編集- 子ども新文学辞典第15巻(1991年) 166頁