ユースタス・セシル
ユースタス・ブラウンロー・ヘンリー・ガスコイン=セシル卿(英語: Lord Eustace Brownlow Henry Gascoyne-Cecil、1834年4月24日 – 1921年7月3日)、通称ユースタス・セシル卿(Lord Eustace Cecil)は、イギリスの政治家。イギリスの首相第3代ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルの弟であり、兵站測量総監(1874年 – 1880年)、庶民院議員(1865年 – 1885年)を務めた[1]。
生涯
編集第2代ソールズベリー侯爵ジェイムズ・ガスコイン=セシルと1人目の妻フランシス・メアリー(Frances Mary、1839年10月15日没、バンバー・ガスコインの娘)の四男として、1834年4月24日に生まれた[1]。
1851年11月21日、第43歩兵連隊のエンサイン(歩兵少尉)への辞令を購入した[2]。1854年1月13日、中尉への辞令を購入して昇進した[3]。同年6月30日、第88歩兵連隊に転じた[4]。同年12月26日、大尉(Lieutenant and Captain)に昇進した[5]。1855年から1856年にかけてクリミア戦争に参戦した[1]。1861年7月2日、中佐(Captain and Lieutenant-Colonel)への辞令を購入して昇進した[6]。1863年7月、軍務から引退した[7]。
ドーセット、エセックス、ミドルセックス州の治安判事を務めた[1]。
政界では保守党に属し、1865年イギリス総選挙で2人区サウス・エセックス選挙区から出馬して、2,710票(2位)を得て当選した[8]。1868年イギリス総選挙で2人区ウェスト・エセックス選挙区に鞍替えして無投票で当選、1874年イギリス総選挙でも無投票で再選したのち、1880年イギリス総選挙で2,397票(2位)を得て再選した[9]。1874年から1880年まで兵站測量総監を務めた[1]。
1874年にライチェット・ヒースの土地を購入し、1875年に邸宅ライチェット・ヒース・ハウス(Lytchett Heath House)を建てたのち[10]、1898年に建築家ジョージ・クリックメイ(George Crickmay)を招聘してセント・アルドヘルム教会を建てた[11]。
1921年7月3日に死去した[1]。
著作
編集- Cecil, Lord Eustace (1871). Speeches on Army Reform, by G. O. Trevelyan, Esq., M.P., Examined and Considered (英語). London: Edward Stanford.
家族
編集1860年9月18日、ガートルード・ルイーザ・スコット(Gertrude Louisa Scott、1919年4月30日没、第2代エルドン伯爵ジョン・スコットと妻ルイーザの四女)と結婚、2男1女をもうけた[12]。
出典
編集- ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 2090.
- ^ "No. 21265". The London Gazette (英語). 21 November 1851. p. 3074.
- ^ "No. 21511". The London Gazette (英語). 13 January 1854. p. 111.
- ^ "No. 21567". The London Gazette (英語). 30 June 1854. p. 2037.
- ^ "No. 21644". The London Gazette (英語). 26 December 1854. p. 4222.
- ^ "No. 22525". The London Gazette (英語). 2 July 1861. p. 2738.
- ^ "No. 22757". The London Gazette (英語). 28 July 1863. p. 3781.
- ^ Craig, F. W. S., ed. (1977). British Parliamentary Election Results 1832-1885 (e-book) (英語) (1st ed.). London: Macmillan Press. p. 387. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ Craig, F. W. S., ed. (1977). British Parliamentary Election Results 1832-1885 (e-book) (英語) (1st ed.). London: Macmillan Press. p. 388. ISBN 978-1-349-02349-3。
- ^ "Death of Lord Eustace Cecil". The Western Gazette (英語). 8 July 1921. British Newspaper Archiveより2019年11月3日閲覧。
- ^ Historic England (29 August 1984). "Saint Aldhelm's Church (Grade II*) (1120333)". National Heritage List for England (英語). 2024年3月12日閲覧。
- ^ a b c Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2155.
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1940). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Peers created 1901 to 1938) (英語). Vol. 13 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 532.
- ^ Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 719. ISBN 978-0-7509-0154-3。
外部リンク
編集- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Lord Eustace Cecil
- ユースタス・セシルの著作 - インターネットアーカイブ内のOpen Library
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
---|---|---|
先代 トマス・ウィリアム・ブラムストン ジョン・ペリー=ワトリントン |
庶民院議員(サウス・エセックス選挙区選出) 1865年 – 1868年 同職:ヘンリー・セルウィン=イベットソン |
次代 リチャード・ウィンフィールド=ベイカー アンドルー・ジョンストン |
新設選挙区 | 庶民院議員(ウェスト・エセックス選挙区選出) 1868年 – 1885年 同職:サー・ヘンリー・セルウィン=イベットソン準男爵 |
選挙区分割 |
軍職 | ||
先代 ヘンリー・ナイト・ストークス |
兵站測量総監 1874年 – 1880年 |
次代 ジョン・ミラー・エイディー |