ヤン・ヒョンソク(梁玄錫、양현석、1970年1月9日 - (1969年 旧暦12月2日 - ))は韓国実業家音楽プロデューサー。音楽事務所YGエンターテインメントの創業者。1992年ソテジワアイドゥルとしてデビュー。1996年の解散後、実業家に転身。配偶者は元歌手のイ・ウンジュ

ヤン・ヒョンソク
生誕 (1969-12-02) 1969年12月2日(54歳)
出身地 ソウル特別市鍾路区
学歴 光明工業高校
職業

(元)YGエンターテインメントCEO

(現)YGエンターテインメント総括プロデューサー
公式サイト YGエンターテインメント
ヤン・ヒョンソク
各種表記
ハングル 양현석
漢字 梁玄錫
発音: ヤン・ヒョンソク
ローマ字 Yang Hyun-suk
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略歴

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高校卒業後、兵役として入隊したが、病気になり満期を待たずに義兵除隊となる[1]。その後体調回復し、アンダーグラウンドでダンサーとして活動する[2]

1992年、ソテジワアイドゥルとしてデビュー。「ヤングン(ヤン君)」の愛称で呼ばれていた。

1996年、ソテジワアイドゥル解散。音楽事務所ヒョン企画創立[3]。第1号アーティストとして男性3人組ユニット「KEEP SIX」をデビューさせたがセールスは芳しくなく、資金調達に苦しんだ[4]

1997年、音楽事務所名をMF Entertainmentへ変更。当時仲の良かったプロデューサー「イ・ヒョンド」(ヒップホップユニットDEUXのメンバー)との共同プロデュースでJINUSEANをデビューさせる。デビューアルバム収録のオム・ジョンファとのコラボ曲「マレジョ(言ってくれ)」が大ヒットし[5]、これにより事務所の資金繰りも好転した。

1998年、音楽事務所名をYangGoon Entertainmentへ変更。1TYMや、所属アーティスト一同によるユニット「YG FAMILY」等、多くのアーティストをプロデュースする。

1998年、ソロデビューアルバム「悪魔の煙」をリリース。ソテジワアイドゥル時代の同士「ソ・テジ」が楽曲提供したこともあって話題となり、22万枚のセールスを記録[6]

2001年、YG ENTERTAINMENTに法人名を変更。

2010年、元Swi.Tのメンバーで、Sechs Kiesイ・ジェジンの妹イ・ウンジュと結婚[7]

2019年、YG ENTERTAINMENTの代表辞任を表明[8]

2023年1月1日、総括プロデューサーとしてYG ENTERTAINMENTに復帰[9]。復帰後第1弾アーティストとしてBABYMONSTERを手がける。自身も出演したBABYMONSTERの公式Teaser「YG NEXT MOVEMENT」では、冒頭に「悪魔の煙」収録の「君を捨てないで(널 버리지마)」(1TYMとのコラボ)のイントロ部分が使用されている。

脚注

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  1. ^ これまで韓国で兵役が免除された芸能人について教えてください。(中)”. 韓国のイマを伝える もっと!コリア (2017年6月28日). 2022年12月25日閲覧。
  2. ^ 歌手をCheckしよう!~90’sアイドルグループ編~”. KONEST (2012年5月7日). 2022年12月25日閲覧。
  3. ^ About YG”. YGエンターテインメント (2022年10月). 2022年12月25日閲覧。
  4. ^ TWICE、J.Y.Park作曲の「Switch to me」から繙く、K-POPブーム前夜90~00年代の“韓国製”NJS楽曲紹介”. cyzo woman (2021年3月3日). 2022年12月25日閲覧。
  5. ^ JINUSEAN(ジヌション)”. KBS World (2005年1月2日). 2022年12月25日閲覧。
  6. ^ 「貧しいけど、幸せだった」YG伝説の序幕を開けたあの時のヒップホップクルー”. DAMMEE (2020年6月8日). 2022年12月25日閲覧。
  7. ^ YGのヤン・ヒョンソク代表、パパになる…恋人イ・ウンジュ「妊娠4ヶ月」innolife.net 2010/05/15
  8. ^ YGヤン・ヒョンソク代表、本日(6/14)付けで辞任「全ての役職から退く」(公式全文)Kstyle 2019/6/14
  9. ^ ヤン・ヒョンソク、3年6か月ぶりに“YG総括プロデューサー”復帰… 新人ガールズグループ「BABYMONSTER」を成功に導くか”. ワウコリア (2023年1月1日). 2023年1月2日閲覧。