ヤヒロホコナガヨリヒコ
ヤヒロホコナガヨリヒコ(八尋鉾長依日子、八尋鉾長依彦)は、日本神話に登場する神。
八尋鉾長依日子命 | |
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全名 | 八尋鉾長依日子命(ヤヒロホコナガヨリヒコノミコト) |
別名 | 八尋鉾長依彦神 |
親 | 神魂命 |
兄弟姉妹 | |
神社 |
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記紀等 | 出雲国風土記 |
概要
編集記述
編集出雲国風土記
編集島根郡
編集生馬郷[注 1]。郡家の西北十六里二百九歩にある。神魂命の御子である八尋鉾長依日子命が、「私の御子は心が穏やかで憤(いく)まない」と仰った。よって、生馬とされた。[1]
考証
編集神名から矛にまつわる神と考えられる[2]。「八尋鉾」は長い矛を指し、『古事記』中巻の景行天皇条では倭建命に与えられた矛として「比々羅木の八尋矛」の語が見える[3][4]。「比々羅木」は柊のことであり、この植物が魔除けに用いられ、かつ「八尋」の長さにも宗教的意味合いが推測される点、また同垂仁天皇条では多遅摩毛理が常世国で採取した橘が「矛八矛」「矛四矛」と表現されている[4]点から、「八尋鉾」を神聖な植物の枝木と解して、植物の生命力が永く依りつく男神の意とする説がある[5]。生命力に触れられていることが、神魂命の性質を受け継ぐ子神として伝承にも合致しているとの意見がある[5]一方で、天沼矛や『出雲国風土記』意宇郡の安来郷条に登場する鉾[1]などの例は明らかに道具の矛と見られる点、神名に矛を冠する八千矛神が植物に関係する神だとは考えられない点から、植物の生命力と結びつける解釈に対して疑問を呈する意見もある[6]。
神の発言中にある「私の御子」は原文では「吾御子」と書かれ、諸写本で異同はないが、御子とされる神の詳細は記述されていない[5]。『出雲国風土記』意宇郡の拝志郷条で所造天下大神が「吾御心」と発言している[1]ことから、当記事もこれと同型の伝承であるとして、「吾御心」の誤写と見る説がある[3][7]。
祀る神社
編集脚注
編集注釈
編集- ^ 細川家本や日御碕神社本など、脱落本系と称される『出雲国風土記』の写本では加賀郷条に生馬郷の郡家及び地名伝承が載せられており、注釈書等では郡家の記述の前に「生馬郷」が補訂されている。
出典
編集参考文献
編集- 植垣節也 校注・訳『風土記』小学館〈新編日本古典文学全集 5〉、1997年10月20日。ISBN 4-09-658005-8。
- 興茂利 著「21 來待神社」、式内社研究会 編『式内社調査報告』 第二十巻 山陰道3、皇學館大学出版部、1983年2月。 NCID BN00231541。
- 後藤藏四郎『出雲國風土記考證』大岡山書店、1926年11月13日。 NCID BN08369495。
- 島根県古代文化センター 編『解説 出雲国風土記』今井出版、2014年3月31日。ISBN 978-4-906794-51-5。
- 島根県神社庁『神國島根』島根県神社庁、1981年4月。 NCID BA8361687X。
- 中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付き』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2009年9月25日。ISBN 978-4-04-400104-9。
- 中村啓信 監修・訳注『風土記 現代語訳付き』 上、KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2015年6月25日。ISBN 978-4-04-400119-3。
- 原宏 著「61 生馬神社」、式内社研究会 編『式内社調査報告』 第二十巻 山陰道3、皇學館大学出版部、1983年2月。 NCID BN00231541。
- 松本直樹 注釈『出雲国風土記注釈』新典社〈新典社注釈叢書〉、2007年11月。ISBN 978-4-7879-1513-9。
- 森陽香「第三章 カムムスヒ・カムムスビの資性」『古代日本人の神意識』笠間書院、2016年9月15日。ISBN 978-4-305-70803-8。
関連項目
編集- アメノヒボコ - 矛を名に持つ神、または人物。