ヤコフ・クライツベルク

ヤコフ・クライツベルク(Yakov Kreizberg, ロシア語: Яков Маевич Крейцберг, 1959年10月24日 - 2011年3月15日)は、ロシア指揮者

ヤコフ・マエヴィチ・クライツベルク
基本情報
生誕 (1959-10-24) 1959年10月24日
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
死没 (2011-03-15) 2011年3月15日(51歳没)
モナコの旗 モナコモンテカルロ
学歴 タングルウッド音楽センター
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

人物

編集

レニングラード(現サンクトペテルブルク)の生まれのユダヤ系ロシア人。兄は同じく指揮者のセミヨン・ビシュコフ(兄と比較されるのを嫌って、母親の旧姓クライツベルクを名乗った)。レニングラードのグリンカ記念合唱学校イリヤ・ムーシンについて学ぶ。1976年よりアメリカに移住し、渡米後タングルウッド音楽センターでも学ぶ。以後、ドイツを中心にアメリカやヨーロッパのオーケストラや歌劇場に客演した。

1994年からベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督を務め、演出家のハリー・クプファーとのコンビで意欲的な上演を行った。その後ベルリン・フィルなど著名なオーケストラに度々客演し、ウィーン交響楽団の首席客演指揮者を兼任するなどの活動を展開した。2009年にはマレク・ヤノフスキの後任としてモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。

2004年にはNHK音楽祭に招待されウィーン交響楽団で来日を果たしている。その他単身来日で名古屋フィルや在京オーケストラを指揮している。レコーディングは積極的であり、グラミー賞にノミネートされたこともある。特にユリア・フィッシャーとは度々共演し録音も複数リリースしている。きわめて個性的な指揮法から、端正ながらも巧みな音楽作りを得意とした。

2011年3月15日、長年治療していた癌の容態が急変し、モナコ公国モンテカルロにて死去[1]。51歳没。

脚註

編集
  1. ^ Conductor Yakov Kreizberg (1959-2011) Harrison Parrott News 2011-3-15
先代
ロルフ・ロイター
ベルリン・コーミッシェ・オーパー音楽監督
1994–2001
次代
キリル・ペトレンコ
先代
アンドリュー・リットン
ボーンマス交響楽団首席指揮者
1995–2000
次代
マリン・オルソップ
先代
ハルトムート・ヘンヒェン
ネーデルラント・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者
ネーデルラント室内管弦楽団首席指揮者

2003–2010
次代
マルク・アルブレヒト
先代
マレク・ヤノフスキ
モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者
2009–2011
次代
山田和樹