モーリス・マオン (第3代ハートランド男爵)
第3代ハートランド男爵モーリス・マオン(英語: Maurice Mahon, 3rd Baron Hartland、1772年10月6日 – 1845年11月11日)は、アイルランド貴族、アイルランド国教会の聖職者。1836年に精神異常者として認定された[1]。
生涯
編集初代ハートランド男爵モーリス・マオンと妻キャサリン(Catharine、旧姓ムーア(Moore)、1742年7月1日 – 1834年3月、初代マウント・ケッシェル子爵スティーブン・ムーアの娘)の三男として、1772年10月6日に生まれた[2]。1790年6月15日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに入学、1794年にB.A.の学位を、1797年にM.A.の学位を修得した[3]。
大学卒業後は聖職者になり、1804年よりチュアムのセント・メアリー聖堂で聖職禄を受け、1814年にはダブリンの聖パトリック大聖堂での聖職に就任した(いずれも1835年まで在任[3])。
1813年11月24日、イザベラ・ジェーン・ヒューム(Isabella Jane Hume、1838年11月12日没、ウィリアム・ヒュームの娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[2]。
1835年12月8日に兄トマスが死去すると、ハートランド男爵位を継承した[2]。しかし、モーリスは1830年代初期より乱行が見られるようになり、叔父トマス(1740年 – 1811年)の息子でモーリスの推定相続人にあたるデニス・マオンは申請を経て1836年2月15日にモーリスを精神異常者として認定させた[1]。デニスが認定を求めたのはモーリスが所有する地所の管理権を掌握するためだったが、いとことの裁判が長引き、1845年初にようやく勝訴して管理権を得た[1]。
1845年11月11日にストロークズタウンで死去[3]、後継者がおらず爵位は廃絶した[2]。遺産はデニスが継承した[1]。
出典
編集- ^ a b c d McCabe, Desmond (October 2009). "Mahon, Denis". In McGuire, James; Quinn, James (eds.). Dictionary of Irish Biography (英語). United Kingdom: Cambridge University Press. doi:10.3318/dib.005390.v1。
- ^ a b c d Cokayne, George Edward, ed. (1892). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 177.
- ^ a b c "Mahon, Maurice. (MHN790M)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
アイルランドの爵位 | ||
---|---|---|
先代 トマス・マオン |
ハートランド男爵 1835年 – 1845年 |
廃絶 |