モーザ・ドゥーグ
モーザ・ドゥーグ[1]、モーザ・ドゥー [2]、モーザ・デュウ[3]、マーザ・ドゥー[2](マン島語: moddey dhoo、発音:/ˈmoːdðə dðuː/ または /ˈmaːdə 'duː/,[4]; 音写: "mauthe doog"[5]、"mauthe dhow"[6]、"moor tha doo"[7])は、ケルト語系 マン語で「黒い犬」を意味し[6]、マン島の西岸に建つピール城に出没したといわれる伝説の毛深い黒妖犬をさす[8]。旧来の伝説では大きめのスパニエル種犬ほどの大きさの黒犬とされている( § 18世紀の記述参照)。
後年では、一般にマン島に出現した黒犬の姿の怪異のことをいう。モーザ・ドゥーグを 「仔牛ほど大きく、ピューター製の皿のような眼をした」[9][10]だとする描写は、おそらく近年つくられたものであろう。「仔牛大」という目撃例は郷土史家ギルが採集している( § 近代の目撃例参照)[注 1]。
語釈
編集古い刊行本の表記を引き継いで「モーザ・ドゥーグ」と表記されているが、「ドゥーグ」はけっして「ドッグ(犬)」の意味ではなく、正しくは「ドゥー」(dhoo)でありケルト語系で「黒色」さす。そしてモーザ(moddy、ウォーザ(voddyと子音変化もする)が「犬」の意の単語である[11][12]。
18世紀の記述
編集18世紀のマン島在住の郷土史作家ジョージ・ウォルドロンによる記述が、ピール城の黒犬の伝説にまつわる唯一の確固たる情報源のようである。その著書『マン島の歴史と描写』(仮訳題名)では、この怪異は次のように伝えられている[5]:
(マン島の人たち)が言うには、彼らの言語でモーザ・ドゥーグ(Mauthe Doog)と呼ばれる大きな黒いスパニエル種犬の姿をした巻毛が毛むくじゃらな亡霊がおり、ピール城に化けて出たという。(城の)各室でたびたび目撃されたが、とくに守衛室におり、燭台が灯されるや、やってきて、兵士らの目前で、火元の近くに横たわるのである。(兵士たち)は、見るの慣れっこになっていて、そいつが最初に現れた頃にとらわれた恐怖は薄らいでしまっていたが、それでもそれなりの畏怖をいだきつづけていて、危害を及ぼす許可(正当理由?)を待ちうかがっている悪霊なのだと思っていたから、そいつと居合わせた時には、みだりに(神を冒涜するような)罵言はけっして吐かなかった。 — George Waldron, History and Description of the Isle of Man (初版 1731年) 1744年版, p.23
ピール城からは、一本の通路が教会の地所を突っ切って、守衛隊長の住棟[注 2]と連絡していたが、「モーザ・ドゥーグは、いつも日暮れとともにその通路からあらわれ、朝がおとずれると、またそこへ戻っていった」[13]
城の守衛たちは、毎日交代で誰かが最後に城門を施錠して、例の通路をとおり、守衛隊長に鍵を渡す務めになっていたが、犬に用心して、仲間内のあいだでは、かならずあくる日の当番が同伴して二人制でおこなうようにしていた。ところが、あるときひとりの守衛が泥酔し、黒妖犬なんのそのと、当番でもないのに鍵を引っつかんで、通路に入ってしまった。不気味な音がしたが、誰も確かめに行くものはいない。その男がやがて守衛房にもどってくると、あきらかに恐怖にさらされた様子で、何がおこったのか口を聞くこともできなかった。そのまま三日もたつと死んでしまったという。その男の四肢や容貌はみにくくゆがんでいて、自然死ではない苦しい死に方をしたのだとされた[14]。それがその犬の目撃の最期であった。亡霊犬が「出る」道は封鎖され、別の通路が建設された[15]。
モーザ・ドゥーグはウォルター・スコットが、連作ウェイヴァリー集の一篇、『ピークのペヴァリル 』 (1823年)のなかで "Manthe Dog" を紹介したことから、一般にも知られるようになった。ただしスコットは小説にあわせて設定を変えており、大きな毛むくじゃらの黒いマスチフ犬だとして、体形を大型に変えている[16][17]。
近代の目撃例
編集W・ウォルター・ギル(1963年没)が収集した『マン島のスクラップブック』という風土史では、ピール城ではないが、島のあちこちで不気味な黒犬が目撃されたという報告や、証言を記録している。
マルー教区[18]では、バラモダ村[注 3]の「道路のロビン」[注 4]という名の野原に、普通種のモーザ・ドゥーグが出現したといわれ[19]、バラギルバート・グレンまたはキンリーの谷[注 5]と呼ばれる谷の東側に建つ農家に通じる小道には、ハンゴー・ヒル[注 6]で見られるのと同様の首なしのモーザ・ドゥーグが潜んでいたという[20]。
ギルは、また、ラムジー町の近郊の、ミルンタウン・コーナー[注 7] という場所の目撃談を記録する。1927年、著者の友人が道すがらにすれちがった犬は、グレン・オールディン[注 8]の方向に向かっていったのであるが、「黒く、長く毛深い体毛で、目は火にくべた炭のようだった」と証言されている。また、1931年、ある町医者が、夜半、車を運転中にこの街角を過ぎると、そこにいたのは「大型の黒犬のような生き物で、仔牛にせまる大きさだった」 [21]。
大衆文化
編集- 英国の漫画家トム・シデル(Tom Siddell)作『ガンナークリッグ・コート』に、プシューコポンポス(死者を冥界に案内する役)として登場。
- SF作家ショーニン・マグワイアの October Daye シリーズに、妖精犬類の系統として登場。
- 新紀元社『幻想世界の住人たちⅡ』では「モーサドゥーグ」 と表記される[22]。
- みなぎ得一作品の登場人物#妖精・魔物に、モーザ・ドゥーグ、カーヴァル・ウシュタ、タルー・ウシュタら、もとはマン島の怪異が登場。
- 高橋弥七郎のライトノベル作品『灼眼のシャナ』の“紅世の徒”(ぐぜのともがら)、“吠狗首(はいこうしゅ)”ドゥーグは、燐子『黒妖犬(モディ)』の使い手。
- ゲーム「ファイアーエムブレム 聖魔の光石」に「モーサドゥーグ」が敵軍部隊として登場。
注釈
編集- ^ また、「皿のような目」は日本語でも常とう句だが、とりわけ「ピューター皿」にトロールの目を喩える例が、アスビョルンセンとモーのノルウェー民話集 にみつかる。
- ^ apartment of the Captain of the Guard
- ^ Ballamodha; 原文: Ballamodda.
- ^ マン島語: Robin y Gate
- ^ Ballagilbert Glen; Kinlye's Glen.
- ^ Hango.
- ^ "Milntown corner", 近値座標:北緯54度19分16秒 西経4度24分18秒 / 北緯54.3212度 西経4.4050度
- ^ Glen Auldyn; 原文: Glen Aldyn.
出典
編集- ^ 井村君江 2008 索引公開ページおよび 「妖精学データベース」で確認したカナ表記
- ^ a b 「妖精学データベース」のみで確認したカナ表記
- ^ ソフィア・モリソン (著)、ニコルズ 恵美子 (訳)『マン島の妖精物語』、筑摩書房、1994年の表記
- ^ Broderick, George (2011), “5. Mrs. Sage Kinvig, Roanague, Arbory (YCG/34 (1953), HLSM/I: 376–77) [Followed by the 'Moddey Dhoo'*”], Language Death in the Isle of Man: An investigation into the decline and extinction of Manx Gaelic as a community language in the Isle of Man, Tübingen: Walter de Gruyter, p. 273, ISBN 9783110911411
- ^ a b Waldron 1744, Hist. and Descrip. of the Isle of Man, 2nd ed., p.23ff. "They say, that an Apparition called, in their language, the Mauthe Doog, in the shape of a large black spaniel with curled shaggy hair..,(以下省略)"
- ^ a b Booth 1856, p. 191: "Moddey Dhoo (pronounced Mauthe Dhow)signifying in English, the 'Black Dog'"
- ^ Katharine Mary Briggs, An Encyclopedia of Fairies, Pantheon Books, 1976, p.301
- ^ Mackillop 1998, moddey dhoo. "..inhabit the halls of Peel Castle on the west coast of the island."
- ^ Killip, Margaret (1976), Folklore of the Isle of Man, Totowa, New Jersey: Rowman and Littlefield, p. 150 , "as big as a calf and with eyes like pewter plates"
- ^ Mackillop 1998事典
- ^ Jenkinson, Henry Irwin (1874), Jenkinson's Practical Guide to the Isle of Man, London: Edward Stanford, Charing Cross, p. xxiv
- ^ Mackillop, James (1950), Isle of Man, London: R. Hale, p. 370
- ^ Waldron 1744, p.24, "I forgot to mention..the Mauthe Doog was always seen to come from that passage at the close of day, and return to it again as soon as the morning dawned".
- ^ Waldron 1744, pp. 24–25.
- ^ Waldron 1744, p. 25.
- ^ Scott 1823, Peveril of the Peak, I, p.241, "Manthe Dog -- a fiend, or demon, in the shape of a large, shaggy, black mastiff"
- ^ スコットがウォルドロンの著書を読んで応用したことは、Scott 1823 "author's notes", p.295-を見れば明らかである。この小説についてはアンドルー・ラングの考察も、その1893年版の編本に添えられている。
- ^ 発音については:“Celtic Names Glossary”. Druidic Circle. 2012年3月19日閲覧。"Malew — (mah-LOO) from Old Irish ma "my" + the god-name Lugh. Early Manx saint; Kirk Malew (Malew Church) is dedicated to him. "
- ^ Gill 1929, chapter 4, p.319- "ordinary moddey dhoo.. "
- ^ Gill 1929, chapter 4, "Kinlye, ... the surname usually pronounced " Kinley "; "..lurked a moddey dhoo, headless like that at Hango.";
- ^ Gill 1929, chapter 6, p.254. 友人:"black, with long shaggy hair, with eyes like coals of fire"; 医者:"a big black dog-like creature nearly the size of a calf, with bright staring eyes."
- ^ 健部伸明と怪兵隊『幻想世界の住人たちⅡ』、新紀元社、1992年、「ヘルハウンド」の章、p. 38
参照文献
編集- 井村君江『妖精学大全』東京書籍、2008年。
- Waldron, George (1731), The History and Description of the Isle of Man, p. 103
- (2nd ed. 1744), p.23-. (cf. mermaid, p. 131, Tehi-tegi the enchantress, p.148-152.
- Mackillop, James (1998), Dictionary of Celtic Mytholgy, Oxford: Oxford University Press, ISBN 0192801201
- Scott, Walter (1823), Peveril of the Peak, London: Constable and Co., volume 1, p.241, volume 2, p.184 "Manthe dog"
- (Andrew Lang edition, Boston, Dana & Estes, 1893), Author's Note p.295- (Waldronを引用), 脚注(h) では Lang がウェールズの伝承と関連付けている。
- Booth, Thomas (of Manchester) (1856), Kerruish's new illustrated guide to the Isle of Man (3rd ed.), Douglas: Kerruish & Kneale, p.207 (quoting Waldron)
- Gill, W. Walter (1929), A Manx Scrapbook, London: Arrowsmith, Chapter4: Place Names and Place lore; §The Parish of Malew, p.319-
- Gill, W. Walter (1932), A Second Manx Scrapbook, London: Arrowsmith "Chapter 6:The Fairies themselves and Kindred Spirits", p.254
関連項目
編集- ルシェン城 (Waldron 1744 では "Castle Russin" と表記する。かつて妖精・巨人・小人の居城だった話 p.8-; 子供殺しで処刑された女の幽霊, p.70.)