モンブリゾン

フランスのコミューン

モンブリゾンMontbrison)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ロワール県コミューン

Montbrison

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ロワール県
(arrondissement) モンブリゾン郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 42147
郵便番号 42600
市長任期  リリアーヌ・フォール
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération Loire Forez
人口動態
人口 14 931人
2008年
人口密度 914人/km2
住民の呼称 Montbrisonnais, Montbrisonnaises
地理
座標 北緯45度36分30秒 東経4度03分57秒 / 北緯45.6083333333度 東経4.06583333333度 / 45.6083333333; 4.06583333333座標: 北緯45度36分30秒 東経4度03分57秒 / 北緯45.6083333333度 東経4.06583333333度 / 45.6083333333; 4.06583333333
標高 平均:? m
最低:370 m
最高:552 m
面積 16.33km2 (1 633ha)
Montbrisonの位置(フランス内)
Montbrison
Montbrison
公式サイト [1]
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地理

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ヴィゼジー川

モンブリゾンはフォルズ地方の一部である。まちはフォルズ平野の端に位置し、フォルズ山脈の麓にある。コミューン内をヴィゼジー川、モワン川が流れる。リヨンより75km、サン=テティエンヌより37km離れている。モンブリゾン駅はクレルモン=フェラン - サン=ジュスト=シュル=ロワール路線(fr)の駅である。

歴史

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コミューン最古の記録は870年にさかのぼる。モンブリゾンはフォルズ伯爵の城周囲に生まれ、その中心地となった。

百年戦争初頭、イングランド軍との軍事衝突からまちは城壁で囲まれた。フランソワ1世はモンブリゾンを王領に併合している。ユグノー戦争中、モンブリゾンはユグノー軍に占領され荒らされた。

1643年、ヴィジタシオン修道院が創建された(修道院建物は現在の裁判所がおかれている)。1648年から1653年は農作物の不作が続いたため、黒死病や飢饉が起きた。

1792年9月、王政廃止が宣言されると、コミューンは対オーストリア戦争のために義勇軍を募った。修道士や宗教施設は追放され、モンブリゾンの聖クララ会聖職者たちはフォレズ山脈へ逃れ、農民たちに匿われていた。

史跡

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  • ラ・ディアナ - かつてフォルズ地方最古の考古学・歴史学会の所在地。
  • ノートルダム・デスペランス参事会教会 - フォルズ伯爵ギィ4世が建立した13世紀の教会が起源。ゴシック様式。

経済

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牛乳で作られるブルーチーズの一種、フルム・ド・モンブリゾンfr)は、2002年より単独でAOCとなった[1][2]。それまではアンベールフルム・ダンベールと一緒くたにAOC認定されていた(1972年より[3])。

人口統計

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1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2008年
10 697 11 213 12 451 13 280 14 064 14 589 14 931

source = Cassini[4] et INSEE[5]

出身者

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姉妹都市

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脚注

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  1. ^ フルム・ド・モンブリゾンAOC”. オーダーチーズ・ドットコム. 2014年10月13日閲覧。
  2. ^ Ambert”. Cheese.com. 2014年10月13日閲覧。
  3. ^ 日仏料理協会 編『フランス 食の事典(普及版)』株式会社白水社、2007年、538頁。ISBN 978-4-560-09202-6 
  4. ^ http://cassini.ehess.fr/ Population par commune avant 1962 (résultats publiés au journal officiel ou conservés aux archives départementales)
  5. ^ INSEE : Population depuis le recensement de 1962