モナ・サーリン
スウェーデンの政治家
モナ・インゲボルク・サーリン(スウェーデン語: Mona Ingeborg Sahlin[ˈmoːna saˈliːn]、1957年3月9日- )は、スウェーデンの政治家、社会民主労働党の党首。「モナ・サーリン」とミドルネームを除いたフルネームで呼ばれることが多い。
モナ・サーリン Mona Ingeborg Sahlin | |
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生年月日 | 1957年3月9日 |
出生地 | スウェーデン・ヴェステルノールランド県ソレフテオー |
所属政党 | 社会民主労働党 |
その他の職歴 | |
スウェーデン社会民主労働党党首 (2007年3月17日 - 2011年3月25日) |
経歴
編集1957年、ヴェステルノールランド県ソレフテオーに生まれる。父は元スウェーデン首相のイングヴァール・カールソンのアドバイザーを務めた経歴がある。
1973年、16歳の時に社会民主労働党党青年部に所属したことが、初めての政治参加となった。
1982年の総選挙で初当選し、25歳でリクスダーゲン(スウェーデン議会)で最年少の議員となり、1990年には労働大臣に就任する。しかし、すぐに与党が敗北したため、大臣を離れるが、1992年には女性初の社会民主労働党書記長となった。
1994年の選挙で再び社会民主労働党が返り咲くと、モナ・サーリンは男女平等問題担当相と副首相を担当する。
1995年にスキャンダルで辞職し、1996年から1997年にかけてテレビリポーターとして活躍したり、会社を経営していたが、1998年にヨーラン・ペーションが首相になると、彼女は無任所大臣に任命され、産業大臣などを担当し、2002年には民主政治担当大臣に任じられる。
2006年に与党が敗北し、ヨーラン・ペーションが引退を発表、女性党首の存在が求められていたこともあり、モナ・サーリンが女性初の社会民主党党首となった。[1]
2010年の総選挙では、野党連合を率いて、与党穏健党(党首・フレドリック・ラインフェルト)率いる連合と争うも、敗北し女性初のスウェーデン首相とはならなかった[2]。
脚注
編集党職 | ||
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先代 ヨーラン・ペーション |
スウェーデン社会民主労働党党首 2007 - 2011 |
次代 ホーカン・ユーホルト |