モシワ・レコタ
モシワ・ジェラルド・パトリック・レコタ(英語: Mosiuoa Gerard Patrick Lekota、1948年8月13日 - )は、南アフリカ共和国の政治家。上院議員。国民会議(OCPE)議長(初代)。
モシワ・ジェラルド・パトリック・レコタ Mosiuoa Gerard Patrick Lekota | |
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生年月日 | 1948年8月13日(76歳) |
出生地 |
南アフリカ連邦 オレンジ自由州クルーンスタッド |
出身校 | 聖フランシス大学退学 |
所属政党 | 国民会議(OCPE) |
内閣 | ムベキ内閣 |
在任期間 | 1999年 - 2008年9月24日 |
大統領 | タボ・ムベキ |
初代上院議長 | |
在任期間 | 1997年 - 1999年 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1997年 - |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1994年 - 1996年 |
在任期間 | 2008年12月16日 - |
国防相、上院議長、フリーステイト州首相を務めた。
概要
編集黒人解放運動の闘士
編集オレンジ自由州(現: フリーステイト州)クルーンスタット出身。
大学生のときに黒人解放運動に参加するが、1974年に逮捕されてロベン島の政治犯刑務所に拘束された。
1982年に出所したものの、1985年に再び逮捕されるが、アパルトヘイト政策の見直しにより1989年に再出所した。1990年以降、アフリカ民族会議(ANC)の幹部として頭角を現して要職を歴任した。
1999年、タボ・ムベキの大統領就任に伴って国防相に就任、ムベキの側近として政権を支えた。
ANC離脱と新党結成
編集2008年、ムベキがANC議長のジェイコブ・ズマの圧力によって辞職に追い込まれた際、他の9閣僚とともに辞表を提出した。翌月にはズマの党運営を批判し、ANCを離党した。
レコタの離党に対してANC執行部は党員資格の停止処分を決定したが、ムベキ支持グループが反発し集団離党し、新党「国民会議」 を結成、初代議長に就任した。
関連項目
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