メディナ=シドニアMedina-Sidonia)は、スペインアンダルシア州カディス県ムニシピオ(基礎自治体)。カディス湾を見下ろす小高い山の上にある町で、カディス湾のバルコニー(Balcón de la Bahía)と呼ばれている。白壁の住宅、中世の城壁、狭く曲がりくねった小路が続く。

Medina-Sidonia

  


 アンダルシーア州
 カディス県
面積 487.44 km² [1]
標高 337m
人口 11,741 人 (2010年[1]
人口密度 24.09 人/km²
住民呼称 asidonense
守護聖人 Santiago el Mayor、Nuestra Señora de la
Paz
Medina-Sidoniaの位置(スペイン内)
Medina-Sidonia
Medina-Sidonia
スペイン内メディナ=シドニアの位置
Medina-Sidoniaの位置(カディス県内)
Medina-Sidonia
Medina-Sidonia
カディス県内メディナ=シドニアの位置

北緯36度27分0秒 西経5度55分0秒 / 北緯36.45000度 西経5.91667度 / 36.45000; -5.91667座標: 北緯36度27分0秒 西経5度55分0秒 / 北緯36.45000度 西経5.91667度 / 36.45000; -5.91667

青銅器時代から人が定住していた。シドンからやってきた人々が定住地をつくったといういわれがあるため、シドニアの名が残った。ローマ時代には、ヒスパニア・バエティカのムニキピウムであるアシド・カエサリナ・アウグスタ(Asido Caesarina Augusta)の名で呼ばれた。西ゴート王国時代、県都となって司教座が置かれた。712年、ウマイヤ朝の将軍ムーサ・イブン・ヌサイールによって占領された。アルアンダルスの行政区画であるコラ(cora)がシドニアに置かれた。この時代にアラビア語起源のメディナの名がついた。1264年、カスティーリャ王アルフォンソ10世によって占領され、グラナダ王国にほど近いグラナダ辺境領とされた。1440年以降、メディナ・シドニア公の所領となった。

人口

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メディナ=シドニアの人口推移 1900-2011
出典:INE(スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[2]、1996年 - [3]

史跡・名所

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祝祭・行事

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  • ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パスのフィエスタ - 市の守護聖人となっている聖母を讃え、毎年1月24日に行われる。
  • カルナバル
  • セマーナ・サンタ
  • 聖体祭(コルプス・クリスティ)
  • サン・イシドロ・ラブラドールの巡礼祭り(5月)
  • サン・フェルミンの巡礼祭り(6月)
  • 牛と馬の家畜市 - アンダルシーアで開かれる家畜市の中でも最も古いものの一つで、13世紀から行われている(6月)。

出身著名人

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ギャラリー

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脚注

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外部リンク

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