メアリー・シェッド
明治時代に来日したアメリカ合衆国の教育家、宣教師
メアリー・H・シェッド(Mary H. Shed、1855年6月9日 - 1932年12月20日)は、明治時代に来日したアメリカ合衆国の教育家、宣教師である[1][2]。
経歴・人物
編集マサチューセッツ州ボストンに生まれる[1][2]。ウェルズリー大学卒業後[1][2]、1887年(明治20年)に英語教師を志願するために来日した[1][2]。その後は京都で同志社英学校に雇われ[1]、同学校で教鞭を執る[1]。後に新島襄からの推薦により[1]、前橋英和女学校(現在の共愛学園中学校・高等学校)に勤務した[1]。
翌1888年(明治21年)からは前橋に在住し[1]、同学校で教鞭を執る傍らで布教活動やマエバシ・キンダー・ガーデン(現在の清心幼稚園)の設立にも携わる[1][2]。1892年(明治25年)からは同年に同学校が経営する宣教師館が完成し[2]、シェッドは独身だったため教育宣教師館(東館)に居住した[2]。なお西館である主任宣教師館は夫妻が4代に渡り居住している[2]。1894年(明治27年)に任期満了により帰国した[2]。シェッドの帰国後は東館にはコーラ・キース(1899年来日)[2]、ハリエット・パーミリー(1877年来日)[2]、マリオン・ケーン(1926年来日)[2]、ファニー・グリスウォルド(1889年来日)[2]、オリーヴ・ホイッテが居住していた[2]。