ミールザー・アバー・バクル
ミールザー・アブー・バクル・ドゥグラト(ペルシア語: ميرزا أبو بكر دوغلات, ラテン文字転写: Mirza Abu Bakr Dughlat, 生没年不詳)は、ドゥグラトのアミール。その事跡は従甥にあたるミールザー・ハイダル・ドゥグラトが著した『ターリーヒ・ラシーディー』に記されている。
生涯
編集サニズ・ミールザーの長男[1]で、ムハンマド・ハイダル・ミールザー・ドゥグラトの孫にあたる。1465年、ヤルカンドを拠点として西カシュガルにモグーリスタン・ハン国から独立した政権を建て、ホータンも支配した。1479年から1480年にかけて、モグーリスタンの君主であるユーヌスの侵攻を撃退し、1480年にはカシュガルを占領した[2]。1499年、ユーヌスの次男であるアフマド・アラクにカシュガルを奪われるがすぐに取り戻した。しかし、1514年にスルターン・サイード(アフマド・アラクの次男)にカシュガルを奪取された。ヤルカンドとホータンもスルターン・サイードに奪われることを恐れたアブー・バクルは跡目を長男のジャハーンギール・ミールザーに譲って[3]ラダックに逃亡し[4]、当地で没した。
家族
編集フスン・ニガル・ハヌム(エセン・ブカの次女)と、マフムード・ミールザー(アブー・サイードの次男)の長女であるハンザダ・ベグムの2人を妻とし、ジャハーンギール、トゥーラーンギール、ブスタンギールの3男を儲けた。
出典
編集- ^ Haidar 2008, p. 99
- ^ Haidar 2008, p. 105
- ^ Haidar 2008, p. 325
- ^ Adle, Habib & Baipakov 2004, p. 327
参考資料
編集- Mirza Muhammad Haidar Dughlt (2008/01/01). N. Elias. ed. A History of the Moghuls of Central Asi: The Tarikh-i-Rashidi. E. Denison Ross. trans. (Reprint ed.). Cosimo, Inc.. ISBN 978-1605201504
- Chahryar Adle; Irfan Habib; Karl M. Baipakov (2004/3/1). History of Civilizations of Central Asia: Development in contrast : from the sixteenth to the mid-nineteenth century. UNESCO. ISBN 92-3-103876-1