閔 升鎬(びん しょうこう、ミン・スンホ、1830年 - 1874年旧暦11月28日)は、李氏朝鮮の政治家。本貫驪興閔氏は復卿、は忠正。

閔升鎬
各種表記
ハングル 민승호
漢字 閔升鎬
発音: ミン・スンホ
日本語読み: びんしょうこう
ローマ字 Min Sung-Ho
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人物

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実父は閔致久であるが、閔致禄の養子となったことで高宗の王妃閔妃の義兄となった。実姉に興宣大院君の驪興府大夫人閔氏、実弟に閔謙鎬がいる。1864年科挙の増広武科に及第し、1866年吏曹参議、戸曹参判となり正三品に昇進、1872年に正二品に昇進すると、刑曹判書、1873年兵曹判書を歴任したが、1874年11月、自邸に送り付けられた爆弾を開封して死亡した。犯人として大院君の元兵使、申哲均が逮捕され拷問の末、自白し処刑された。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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