ミューロック丸
ミューロック丸(英語: Muroc Maru)は、第二次世界大戦中にアメリカ陸軍航空軍が建設した訓練用標的である。正式には航空軍臨時建造物(標的)T-799(AAF Temporary Building (Target) T-799)と呼ばれた。カリフォルニア州南部のミューロック乾湖に設置されており、外見は大日本帝国海軍が保有した高雄型重巡洋艦を模していた。1950年に撤去されるまで、爆撃機乗員の対艦攻撃訓練のために用いられていた。
航空軍臨時建造物(標的)T-799 「ミューロック丸」 | |
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Part of ミューロック陸軍飛行場 | |
カリフォルニア州ロジャーズ乾燥湖 | |
ミューロック丸の上空を飛行するB-25爆撃機 | |
座標 | 北緯34度50分40秒 西経117度53分24秒 / 北緯34.84444度 西経117.89000度 |
種類 | 訓練標的 |
施設情報 | |
一般公開 | 無し |
現況 | 撤去済 |
歴史 | |
建設 | 1943年 |
建設者 | アメリカ陸軍航空軍 |
使用期間 | 1943年 – 1950年 |
解体 | 1950年 |
建設
編集ミューロック丸こと標的T-799は、1943年にカリフォルニア州ミューロック乾湖の南端に建設された。その目的は、爆撃機の飛行士、航法士、爆撃手に対し、爆撃、機銃掃射、艦船識別、および反跳爆撃技術などの訓練を実施することであった。建設場所に乾湖の湖底が選ばれたのは、周囲よりも明るい色合いで、航跡にも似た模様が残された砂地が、上空からはあたかも海上にいるかのような印象を与えるとされたためである[1]。
外見は大日本帝国海軍の高雄型重巡洋艦を模しており、「船体」はフォーバイフォー材と金網の骨組をタール紙で覆うことで構成されている[1]。建設費用は35,819.18米ドルであった(2023年時点の667,940に相当[2])[3]。
運用
編集訓練に参加するミューロック陸軍飛行場の航空兵らは、地名と日本の船名に良く使われる「丸」(Maru)という接尾詞を組み合わせて、標的T-799にミューロック丸という愛称を与えた。1950年まで訓練に使用されていたが、航空航法上の危険があると判断されたため、不発弾処理を経て解体された[1][4]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b c “Ship of the Desert”. Air Force Magazine (Arlington, VA: Air Force Association) 100 (3): 59. (March 2017). ISSN 0730-6784.
- ^ Federal Reserve Bank of Minneapolis Community Development Project. "Consumer Price Index (estimate) 1800–" (英語). Federal Reserve Bank of Minneapolis. 2019年1月2日閲覧。
- ^ Merlin, Peter W.; Tony Moore (2008). X-Plane Crashes: Exploring Experimental Rocket Plane and Spycraft Incidents, Accidents and Crash Sites. North Branch, MN: Specialty Press. p. 12. ISBN 978-1580072229
- ^ “Man in Space: A National Historic Landmark Theme Study.”. National Park Service (8 January 2001). 2017年12月1日閲覧。
外部リンク
編集- WW2 newsreel Archived 2022-02-17 at the Wayback Machine. on the Muroc Maru