ミッキーカーチス&サムライ

ミッキー・カーチス&サムライMickey Curtis and The Samurai)は、ミッキー・カーチスが結成したロックバンド。グループ・サウンズ・ブームから1970年代のフォーク・ブーム、ニューロック時代に活動した。

ミッキー・カーチス&サムライ
出身地 日本の旗 日本
活動期間 1967年 - 1971年
旧メンバー ミッキー・カーチス
ヒロ・イズミ
山本五郎
冬梅邦光
菊地牙
豊住芳三郎
山内テツ
原田裕臣
ジョン・レッドフォーン
ジョー・ダーネット

来歴

編集

1960年代の初めに「ロカビリー3人男」の一人として高い人気を誇ったカーチスは、デビュー以来バックを担当していたロカビリー・バンドのクレイジー・ウエスト1963年頃に再編して「ミッキーカーティスとシティ・クロウズ」を結成し、ラウンジ・ジャズなどを演奏してアルバム・レコードを発表した。彼は1966年にはバンド名を「ヴァンガース」に変更して、東アジア渡辺貞夫らと演奏旅行し、その後香港バンコクにて長期滞在の演奏活動を行なって、1967年に一時帰国した。そして同年、彼はメンバーを刷新して、ミッキー・カーチスとザ・サムライズを結成した[1]

彼等はレコード用の録音を終えるとただちにヨーロッパへ旅立ち、ミッキー・カーチス&サムライのバンド名で音楽ツアーや長期公演などでライブ活動を行ない、1968年5月5日にはローマで開催された「ローマ・ポップ・フェスティヴァル」に出演した。そして西ドイツで2枚組アルバムSamuraiを製作[2]イタリアイギリスでシングル・レコードを発表し、1970年に帰国。さらにアルバム制作と短い期間公演活動を行なった後、1971年に解散した。

「ローマ・ポップ・フェスティヴァル」のドキュメンタリー・フィルムで,「通りゃんせ」を歌唱するわずかのライブ映像とインタビューに英語で答えるミッキー・カーチスの姿を見ることができる[注釈 1]

メンバー

編集

前期

編集

後期

編集

ディスコグラフィ

編集
※ アルバム「愛のテナーサックス」とシングル「風船」「太陽のパタヤ」は、『ミッキー・カーチスとザ・サムライズ』名義。

アルバム

編集
  • 愛のテナーサックス[3](1967 & 1968.10。日本ミュージカラー ML-3007)装丁は2種類あり
  • Samurai[2](1970。西独Metronome MBLP2-40.003)2枚組LP
  • 河童[4](1971.03。フィリップス/日本フォノグラム FX-8511)
  • [5](1971.08。フィリップス/日本フォノグラム FX-8517)

シングル

編集
  • 風船 / 雨のプロムナード(1967.10.10。日本クラウン PW-5)[6]
  • 太陽のパタヤ / 夏の夢(1968.04.01。日本クラウン PW-16)[7]
  • グッド・モーニング・スターシャイン(Good Morning Starshine) / 金閣寺(Temple Of Gold)(1969.05。ユナイテッド・アーティスツ/キング HIT-1609)[8]
  • Shu Shu / Fresh Hot Breeze Of Summer(1969。伊United Artist UA-3136)[9]海外発売シングル
  • ビジョン(Vision Of Tomorrow) / セイム・オールド・リーズン(Same Old Reason)(1971.03。フィリップス/日本フォノグラム FS-1190)[10]
  • ミッキーと歌おうハレ・クリシュナ/誰だった(1971.04。フィリップス/日本フォノグラム FS-1191。ミッキー・カーティスと仲間たち名義)

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ P-VINE PCD-1598 ミッキー・カーチスとザ・サムライ「河童」1998年8月25日発売の解説本人インタビュー
  2. ^ a b Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  3. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  4. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  5. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  6. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  7. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  8. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  9. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。
  10. ^ Discogs”. 2023年7月14日閲覧。

注釈

編集
  1. ^ イギリスのバンドであるザ・ムーブのカール・ウェイン、インクレディブル・ストリング・バンドのロビン・ウィリアムソン、フェアポート・コンヴェンションのメンバーへのインタビューもある。

参考著作

編集