ミカエル・マニケ
ミカエル・マニケ(Michael Manniche, 1959年7月17日 - )は、デンマーク出身の元サッカー選手である。FWとして活躍し、ポルトガルのベンフィカでは「生ける伝説」の一人として讃えられている[要出典]。
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名前 | ||||||
愛称 | マンネ (Manne) | |||||
ラテン文字 | Michael Manniche | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | デンマーク | |||||
生年月日 | 1959年7月17日(65歳) | |||||
出身地 | コペンハーゲン | |||||
身長 | 196cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1977-1980 | ブレンスホイ | ? | (20) | |||
1980-1983 | ヴィズオウア | 77 | (23) | |||
1983-1987 | ベンフィカ | 89 | (47) | |||
1987-1992 | B 1903 | 128 | (47) | |||
1992-1994 | コペンハーゲン | 37 | (7) | |||
1996 | コペンハーゲン | 3 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1981-1987 | デンマーク | 11 | (2) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集1977年にブレンスホイBKでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、1980年にヴィズオウアIFに移籍した。すると同年のデンマークカップ、また翌年のデンマーク・チャンピオンシップでクラブの優勝に貢献し、1981年8月のフィンランド代表戦でデンマーク代表デビューを果たした。
1983年にポルトガルの強豪で、当時国内リーグ連覇を目指していたSLベンフィカへ、自身初の国外移籍をした。マニケは移籍初年度からクラブのリーグ連覇に貢献すると、1985年のタッサ・デ・ポルトガル決勝でFCポルト相手に2ゴールを挙げ、優勝へ導くなどの活躍を見せた。ベンフィカでは、132試合出場で75ゴールを挙げた。
1987年に母国デンマークへ戻り、ボルドクルッベン1903へ入団。1992年7月1日にボルドクルッベン1903がコペンハーゲン・ボルドクラブと合併し、FCコペンハーゲンとなった後も引き続き在籍し、合併初年度のデンマーク・スーペルリーガ制覇に貢献した。1994年4月17日にいったん現役引退し、小さなアマチュアクラブのコーチを務めていたが、1996年に古巣・コペンハーゲンのコーチとして招聘された。ところが、この年クラブが成績不振に陥ったため、マニケは37歳にして急きょ現役復帰し、4試合に出場した。FCコペンハーゲンでは49試合に出場し、12ゴールを挙げた。
元ポルトガル代表のヌーノ・リカルド・オリベイラ・リベイロのニックネーム「マニシェ」は、彼に因んでつけられたものである(一部サポーターはマニシェのことをマニケと呼ぶこともある)。
獲得タイトル
編集- ヴィドーヴェIF
- デンマーク・スーペルリーガ : 1981
- デンマーク・カップ:1979-80
- SLベンフィカ
- スーペル・リーガ : 1983-84, 1986-87
- タッサ・デ・ポルトガル : 1984-85, 1985-86, 1986-87
- ポルトガル・スーパーカップ : 1985
- FCコペンハーゲン
- デンマーク・スーペルリーガ : 1992-93