マルセル・アルラン
マルセル・アルラン(フランス語:Marcel Arland、1899年7月5日 - 1986年1月12日)は、フランスの小説家、文芸評論家、脚本家、ジャーナリスト。1929年に『秩序(L'Ordre)』を著してゴンクール賞を受賞[1][2]。1968年から亡くなる1986年までアカデミー・フランセーズの会員を務めた。
マルセル・アルラン Marcel Arland | |
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マルセル・アルラン(1929年頃) | |
誕生 |
1899年7月5日 フランス、ヴァレンヌ=シュル=アマンス(グラン・テスト地域圏、オート=マルヌ県) |
死没 |
1986年1月12日(86歳没) フランス、サン=ソヴール=シュル=エコール(イル=ド=フランス地域圏、セーヌ=エ=マルヌ県) |
職業 | 小説家、文芸評論家、脚本家、ジャーナリスト |
言語 | フランス語 |
最終学歴 | ソルボンヌ大学 |
文学活動 | ダダイスム、シュルレアリスム |
代表作 | 『秩序』 |
主な受賞歴 |
ゴンクール賞 アカデミー・フランセーズ文学大賞 |
生涯
編集1899年7月5日、オート=マルヌ県(グラン・テスト地域圏)のヴァレンヌ=シュル=アマンス(当時テール=ナタルと呼ばれた地区[3])生まれた。幼くして父を失い、母と母方の祖父母に育てられた[4]。ソルボンヌ大学で文学を学んだ後、1924年から1929年までイヴリーヌ県ジュイ=アン=ジョザスのコレージュで教鞭を執った。
一時期、ダダイスム、次いでシュルレアリスムの運動に参加したが、特に親交が深かった作家はシュルレアリストのルネ・クルヴェルのほか、むしろアンドレ・ドーテル、ロジェ・ヴィトラック、ジョルジュ・ランブール、アンドレ・マルローらであった[5]。
1923年、『新フランス評論』(NRF)を「今世紀の新たな悪」を発表し、処女作『異国の地』が刊行された。
1929年に『秩序』でゴンクール賞を受賞、1952年には、作家の全作品に対して与えられるアカデミー・フランセーズ文学大賞を受賞した。
1953年から1968年にかけて作家ジャン・ポーランと共に『新フランス評論』の編集長を務め[1][2]、ポーラン亡き後の1968年から1977年まで単独で編集長を務めた。また同年から1986年までアカデミー・フランセーズ席次26の会員を務めた。
1986年1月12日、アルランの自宅があるセーヌ=エ=マルヌ県サン=ソヴール=シュル=エコールで急逝した。
レジオンドヌール勲章コマンドゥール、芸術文化勲章コマンドゥールを受章[4]。
邦訳
編集- 『アンタレス ― マルセル・アルラン小説集』(Antarès) 太田咲太郎訳、耕進社、1935年 - 長編「アンタレス」のほか、短編「あひびき」、「影」、「休息の時」、「奇蹟」、「フロランス」所収。
- 『秩序』(L'Ordre)(上下2巻)佐野一男訳、白水社、1940年; (全3巻)佐藤文樹訳、弘文堂書房(世界文庫)1940-42年
- 『生れた土地』(Terre natale) 佐野一男訳、白水社、1940年
- 『強く生きんとて』(Les Vivants) 堀口大學訳、実業之日本社、1941年
- 『悩める魂』(Les Âmes en peine) 佐藤文樹訳、角川文庫、1953年
- 「ドリュ・ラ・ロシェル」若林真訳(篠田一士編『 現代の小説論(世界批評大系7)』筑摩書房、1975年)所収
- 「水いらず」佐藤文樹訳(鈴木信太郎編『フランス短篇集(現代篇)』河出書房(市民文庫)1953年)所収
脚注
編集- ^ a b 万有百科大事典 1973, p. 31.
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『アルラン』 - コトバンク
- ^ 「テール=ナタル」は生まれ故郷(生誕地)の意味であり、1938年に同名の小説を発表している(邦題『生れた土地』)。
- ^ a b “Marcel ARLAND”. www.academie-francaise.fr. Académie française. 2019年12月7日閲覧。
- ^ “Fonds Marcel Arland”. www.calames.abes.fr. Bibliothèque littéraire Jacques Doucet. 2019年12月7日閲覧。
参考文献
編集関連項目
編集
前任 アンドレ・モーロワ |
アカデミー・フランセーズ 席次26 第11代:1968年 - 1986年 |
後任 ジョルジュ・デュビー |