マルコム・ウィルソン
マルコム・ウィルソン (英語: Malcolm Wilson, OBE、1956年2月17日 - ) は、イギリスのカンブリア州コッカーマス出身の元ラリードライバー。モータースポーツ関連企業Mスポーツの代表で、息子のマシュー・ウィルソンもラリードライバーである。
マルコム・ウィルソン OBE | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | イギリス |
生年月日 | 1956年2月17日(68歳) |
出身地 | カンブリア州コッカーマス |
WRCでの経歴 | |
活動時期 | 1977 - 1995 |
所属チーム | フォード、MG、ボクスホール |
出走回数 | 42 |
チャンピオン回数 | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台回数 | 2 |
ステージ勝利数 | 29 |
通算獲得ポイント | 56 |
初戦 | 1977年 RACラリー |
最終戦 | 1995年 RACラリー |
経歴
編集現役時代
編集ウィルソンの生家は自動車解体業を営んでおり、中古部品を求めるラリー愛好家が立ち寄っていた[2]。ウィルソンが10歳の頃、客の一人の車の後部座席に乗せてもらい、その車が交差点でドリフトした時モータースポーツの魅力を覚えた[2]。
1970年代半ばにラリー活動を始め、1978年と1979年にイギリスの国内選手権 (Castrol Autosport National Championship) でチャンピオンを獲得する[3]。1979年にはプライベートチーム「マルコム・ウィルソン・モータースポーツ(MWM)」を設立する[3]。
1980年代はイギリスラリー選手権 (BRC)、ヨーロッパラリー選手権 (ERC) 、世界ラリー選手権 (WRC) で活躍。WRCではフォード、MG(オースチン・ローバー)、ボクスホール(オペル)のファクトリーチームに所属し、フォード・RS200のテストドライバーも務める。1994年、フォード・エスコートRSコスワースをドライブし、イギリスラリー選手権のチャンピオンを獲得[3]。1995年を最後に現役引退する。
チーム代表
編集1997年、MWM改めMスポーツはフォードからWRCのワークス活動を委託される。ウィルソンはチームの規模を拡大し、地元コッカーマスのカントリーハウス「ドベンバイホール」を購入し、2000年5月に最新のファクトリーを完成させる[3]。
2006年と2007年にはフォード・ワールドラリーチームがWRCのマニュファクチャラー(製造者)部門のタイトルを連覇。2009年には英国モータースポーツへの貢献が認められ、ウィルソンに大英帝国勲章のOBE(オフィサー)が授与された[4]。
2012年シーズンを最後にフォードがワークス活動を停止。MスポーツはマニュファクチャーとしてWRCへの参戦を継続しつつ[5]、下位クラス向けのカスタマーカー販売、GT3マシンやラリークロスマシンの開発などのビジネス展開を行っている。ドベンバイホールでは約250名、ポーランド支社では約50名の従業員が働いている[2]。
2017年、Mスポーツはセバスチャン・オジェを迎え入れ、3度目のマニュファクチャラーズタイトルを獲得。
2019年、ウィルソンは評価センターの設立などMスポーツ全体のビジネスに専念するため、リチャード・ミルナーにラリーチーム代表の座を譲った[6]。
脚注
編集- ^ このマシンは日本のタミヤ模型が1/24スポーツカーシリーズ「ミシュラン パイロット フォード エスコート RS コスワース」という商品名のプラモデルを発売した[1]。
- ^ a b c Simon Arron / 大谷達也訳「Simon Says…」『カーグラフィック』2017年5月号、二玄社、217頁。
- ^ a b c d "Malcolm Wilson OBE, M-Sport Managing Director Personal Profile" (PDF) (Press release). M-Sport. 2017年4月5日閲覧。
- ^ “マルコム・ウイルソン受勲の祝辞に「たくさんのメッセージに感激」”. Rallyplus.net. (2009年6月20日) 2017年4月5日閲覧。
- ^ “WRCチャンピオンも獲得!Mスポーツの注目選手”. 【SPAIA】スパイア (2017年6月13日). 2020年11月17日閲覧。
- ^ “Mスポーツ・フォードのチーム代表にミルナー就任”. RALLY Xモバイル. (2018年12月23日) 2019年8月19日閲覧。
関連項目
編集- Mスポーツ
- マシュー・ウィルソン
- ニッキー・グリスト - 1990年、1991年にコンビを組んだコ・ドライバー