マルグリット・ド・ブルターニュ
マルグリット・ド・ブルターニュ(Marguerite de Bretagne、1443年 - 1469年9月25日)は、ブルターニュ公フランソワ2世の最初の妃。
マルグリット・ド・ブルターニュ Marguerite de Bretagne | |
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イザベル・デコスと2人の娘たち | |
称号 | ブルターニュ公妃 |
出生 |
1443年 |
死去 |
1469年9月25日 ブルターニュ公国、ナント |
埋葬 | ブルターニュ公国、ナント、サン・ピエール・ド・ナント大聖堂 |
配偶者 | ブルターニュ公フランソワ2世 |
子女 | ジャン |
家名 | ドルー家 |
父親 | ブルターニュ公フランソワ1世 |
母親 | イザベル・デコス |
生涯
編集ブルターニュ公フランソワ1世と妃イザベル・デコスの長女として生まれた。1365年のゲランド条約に従って、マルグリットおよび妹のマリーの公位継承権は認められなかった。このため、フランソワ1世は自らの後継を弟のピエール・ド・ガンガン(のちのピエール2世)に定めた。ピエール2世が公位について以降嫡子が生まれず、後継についての争いを避けるため、ピエール2世は姪のマルグリットを継承権第1位である従弟のフランソワ・デタンプ(のちのフランソワ2世)と結婚させ、年若いマリーをブルターニュ最大の男爵であるジャン・ド・ロアンへ嫁がせた。
1455年11月13日または16日、ヴァンヌのエルミーヌ城でマルグリットはフランソワ・デタンプと結婚した。1458年12月26日、夫の即位によってマルグリットはブルターニュ公爵夫人となった。夫妻には1463年6月29日に一人息子ジャンが生まれたが、この子は生後2ヶ月で身罷った。
マルグリットはその後子供を授からないまま、1469年9月25日にナントで死去した。彼女の墓はサン・ピエール・ド・ナント大聖堂内にある。