マリー・フォン・ヘッセン=カッセル (1796-1880)
マリー・ヴィルヘルミーネ・フリーデリケ・フォン・ヘッセン=カッセル(Marie Wilhelmine Friederike von Hessen-Kassel, 1796年1月21日 - 1880年12月30日)は、ドイツ・ヘッセン=カッセル家の公女で、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルクの妻。
マリー・フォン・ヘッセン=カッセル Marie von Hessen-Kassel | |
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メクレンブルク=シュトレーリッツ大公妃 | |
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在位 | 1817年 - 1860年 |
出生 |
1796年1月21日 神聖ローマ帝国 ヘッセン=カッセル方伯領、ハーナウ |
死去 |
1880年12月30日(84歳没) メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国、ノイシュトレーリッツ |
埋葬 | メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国、ミロー |
結婚 | 1817年8月12日 カッセル |
配偶者 | メクレンブルク=シュトレーリッツ大公ゲオルク |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヘッセン=カッセル家 |
父親 | ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒ(3世) |
母親 | カロリーネ・ポリクセネ・フォン・ナッサウ=ウジンゲン |
生涯
編集ヘッセン=カッセル=ルンペンハイム方伯フリードリヒ(3世)とその妻でナッサウ=ウジンゲン侯カール・ヴィルヘルムの娘カロリーネ・ポリクセネの間の第7子、次女として生まれた[1]。1817年8月12日、カッセルにおいてゲオルクと結婚し、メクレンブルク=シュトレーリッツ大公妃となった。
マリー大公妃は非常に才能あるアマチュア画家で、多くのオールド・マスターたちの名品の模写を制作した。大公妃によるラファエロ・サンティの『十字架を担うキリスト』の模写作品(1856年)は、シェーンベルク(Schönberg)の聖ラウレンティウス市教会(St. Laurentius)、ノイシュトレーリッツ市教会の祭壇画として掲げられていた。また、アルブレヒト・デューラーの『キリストの磔刑』の模写作品(1868年)も、ミロー(Mirow)の城の聖ヨハネ騎士団教会(Johanniterkirche)の祭壇画として、1945年まで使われていた。
子女
編集夫ゲオルクとの間には2男2女の4人の子女をもうけた。
- カロリーネ・ルイーゼ・マリー・フリーデリケ・テレーゼ・シャルロッテ・ヴィルヘルミーネ・アウグステ (1818年 - 1842年)
- フリードリヒ・ヴィルヘルム・カール・ゲオルク・エルンスト・アドルフ・グスタフ (1819年 - 1904年) - メクレンブルク=シュトレーリッツ大公
- カロリーネ・シャルロッテ・マリアンネ (1821年 - 1876年) - 1841年、デンマーク王太子フレゼリクと結婚(1846年離婚)
- ゲオルク・アウグスト・エルンスト・アドルフ・カール・ルートヴィヒ (1824年 - 1876年)