マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ (1751-1767)
マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ(Maria Josepha von Österreich, 1751年3月19日 - 1767年10月15日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世と皇后・オーストリア大公マリア・テレジアの九女。全名はマリア・ヨーゼファ・ガブリエラ・ヨハンナ・アントーニア・アンナ(Maria Josepha Gabriella Johanna Antonia Anna)。
マリア・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ Maria Josepha von Österreich | |
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![]() オーストリア大公女マリア・ヨーゼファの肖像画。マルティン・ファン・メイテンス筆、ベルリンのオーストリア大使館蔵。 | |
出生 |
1751年3月19日![]() ![]() |
死去 |
1767年10月15日(16歳没)![]() ![]() |
埋葬 |
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家名 | ハプスブルク=ロートリンゲン家 |
父親 | フランツ1世 |
母親 | マリア・テレジア |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
生涯
編集1751年3月19日、マリア・テレジアとフランツ1世の間に第12子としてウィーンに生まれた。
ナポリ・シチリア王子フェルディナンド(後の両シチリア王フェルディナンド1世)と結婚する予定だったが、天然痘のため1767年10月15日にウィーンのシェーンブルン宮殿で急死した。その後、フェルディナンドはマリア・ヨーゼファの妹であるマリア・カロリーナと結婚した。