マヌエレ・ブラージ
マヌエレ・ブラージ(Manuele Blasi, 1980年8月17日 - )は、イタリア・チヴィタヴェッキア出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。
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ナポリ時代(2009年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Manuele Blasi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1980年8月17日(44歳) | |||||
出身地 | チヴィタヴェッキア | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (CMF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1996-1998 | ローマ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2000 | ローマ | 5 | (0) | |||
1998-1999 | → レッチェ (loan) | 12 | (0) | |||
2000-2002 | ペルージャ | 46 | (0) | |||
2002-2007 | ユヴェントス | 40 | (0) | |||
2002-2003 | → ペルージャ (loan) | 30 | (0) | |||
2003-2004 | → パルマ (loan) | 12 | (0) | |||
2006-2007 | → フィオレンティーナ (loan) | 31 | (1) | |||
2007-2011 | ナポリ | 60 | (0) | |||
2009-2010 | → パレルモ (loan) | 14 | (0) | |||
2011-2012 | パルマ | 6 | (0) | |||
2012 | レッチェ | 16 | (0) | |||
2012-2013 | ペスカーラ | 12 | (0) | |||
2013-2015 | ヴァレーゼ | 34 | (0) | |||
2015 | チェンナイイン | 10 | (0) | |||
2016 | イスキア | 4 | (0) | |||
2016 | チェンナイイン | 6 | (0) | |||
2017 | コンパニア・ポルトゥアーレ | |||||
代表歴 | ||||||
1996 | イタリア U-15 | 10 | (1) | |||
1996-1997 | イタリア U-16 | 10 | (0) | |||
1998-1999 | イタリア U-18 | 10 | (0) | |||
2000 | イタリア U-20 | 4 | (0) | |||
2000-2002 | イタリア U-21 | 6 | (0) | |||
2004-2005 | イタリア | 8 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2017-2018 | コンパニア・ポルトゥアーレ | |||||
2019-2020 | ハムルーン・スパルタンズ | |||||
2020-2021 | アイア・ナパ | |||||
2021 | アポロニア・フィエル | |||||
2021-2022 | アイア・ナパ | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集フランチェスコ・トッティなど数多くの実力者を輩出したASローマのプリマヴェーラ出身。16歳でトップチームに昇格するも、経験を積むためセリエBのUSレッチェにレンタル移籍する。ここで12試合に出場し、1999年にローマに戻る。しかし、当時のローマの中盤は選手層が厚く、なかなか出場機会は巡ってこなかった。1999-00シーズンに中田英寿との交換要員としてACペルージャへ移籍。正式加入は翌シーズンからであり、2000年1月22日のピアチェンツァ・カルチョ戦でセリエAデビューを果たした。ペルージャでは監督のセルセ・コズミからの信頼を得て、不動のレギュラーとして活躍。クラブの3シーズン連続となるセリエA残留に貢献する。
2002年にユヴェントスFCと契約を結ぶ。2002-03シーズンはそのままペルージャに、翌シーズンはACパルマにそれぞれレンタルされた。パルマでは第2節の古巣ペルージャとの試合後のドーピング検査で陽性反応を示し長期出場停止に処せられ、このシーズンは12試合の出場に留まった。しかし、保有権を持つユヴェントスへ復帰した翌2004-05シーズンは守備面において大きく進歩し、このシーズンのスクデット奪還に貢献した。パトリック・ヴィエラが加入した翌2005-06シーズンはジョナタン・ゼビナの故障もあって右サイドバックにコンバートされたが、ファビオ・カペッロ監督を満足させることはできず控えに甘んじた。2006-07シーズンはレンタル移籍でACFフィオレンティーナへ加入したが出場機会に恵まれず、2007-08シーズンからユヴェントスと保有権を半分ずつ持つ形でSSCナポリに移籍、2シーズンにわたりレギュラーとしてプレーした。
2009-10シーズンはUSチッタ・ディ・パレルモにレンタル移籍した。翌シーズンはナポリに復帰。2011年より完全移籍の形でパルマで再びプレーし、2012年1月にはUSレッチェへ移籍した。
2015年8月17日、マルコ・マテラッツィが監督を務めるISLのチェンナイインFCに加入した[1]。
2016年2月2日、レガ・プロのSSイスキア・イゾラヴェルデへ加入し母国へ復帰[2]。しかし翌月22日にクラブとの契約を解除した[3]。
同年7月26日、再びチェンナイインと契約を締結した[4]。
2017年9月12日、ASDコンパニア・ポルトゥアーレ・チヴィタヴェッキア2005の指揮官に就任した[5]。
タイトル
編集- チェンナイイン
- インディアン・スーパーリーグ : 2015
脚注
編集- ^ “UFFICIALE: Chennaiyi, arriva Blasi”. TuttoMercatoWeb.com (2015年8月17日). 2015年9月28日閲覧。
- ^ “Ischia, UFFICIALE Manuele Blasi”. Calciomercato.com (2016年2月2日). 2018年5月17日閲覧。
- ^ “Ischia, UFFICIALE: risoluzione consensuale con Blasi”. Calciomercato.com (2016年3月22日). 2018年5月17日閲覧。
- ^ “Chennaiyin FC Retain Manuele Blasi”. Chennaiyin FC (2016年7月26日). 2018年5月17日閲覧。
- ^ “Calcio. Manuele Blasi è il nuovo allenatore della CPC2005”. 0766News (2017年9月12日). 2018年5月17日閲覧。
外部リンク
編集- Manuele Blasi - player profile Transfermarkt