マティルド・ド・フリーズ
マティルド・ド・フリーズ(Mathilde de Frise, 1024年頃 - 1044年)は、フランス王アンリ1世の王妃。父はブルノン家のフリースラント辺境伯リウドルフである。母はゲルトルートというが、出自について明確なことはわかっていない。ドイツ名はマティルデ・フォン・フリースラント(Mathilde von Friesland)である。
マティルド・ド・フリーズ Mathilde de Frise | |
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フランス王妃 | |
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在位 | 1034年 - 1044年 |
出生 |
1024年頃 |
死去 |
1044年 フランス王国、パリ |
埋葬 | フランス王国、サン=ドニ大聖堂 |
結婚 | 1034年 |
配偶者 | アンリ1世 |
家名 | ブルノン家 |
父親 | フリースラント辺境伯リウドルフ |
母親 | ゲルトルート |
生涯
編集もともとアンリ1世は神聖ローマ皇帝コンラート2世と皇后ギーゼラ・フォン・シュヴァーベンの娘マティルデ・フォン・フランケン (de) と婚約していたが、彼女が1034年に死去したため結婚に至らなかった。そこで、ギーゼラと先夫(ブラウンシュヴァイク伯ブルン1世)の息子リウドルフの娘である、元の婚約者の同名の姪と、その年のうちに結婚した。