マシュー・モアトン (第2代デュシー男爵)

第2代および初代デュシー男爵マシュー・デュシー・モアトン英語: Matthew Ducie Moreton, 2nd and 1st Baron Ducie1700年以前 – 1770年12月25日/27日)は、グレートブリテン王国の貴族、政治家。総選挙で庶民院の議席を得たことはなかったが、補欠選挙に4回当選した[1]

生涯

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初代デュシー男爵マシュー・デュシー・モアトンと妻アラベラ・プレストウィッチ(Arabella、旧姓プレストウィッチ(Prestwich)、1660年ごろ – 1750年3月/5月、第2代準男爵サー・トマス・プレストウィッチの娘)の長男として、1700年までに生まれた[2]。1709年よりハーロー校で教育を受けた[1]

1721年2月にクリックレイド選挙区英語版の補欠選挙に立候補して当選した[3]。対立候補トマス・ゴア英語版の選挙申し立てではモアトンによる選管への脅迫が主張されたが、モアトンの当選は覆らなかった[1]1722年イギリス総選挙で再選を目指したが、得票数3位(131票)になり、1票差で落選した[3]

1723年2月、カーン選挙区英語版の補欠選挙に出馬して当選した[4]1727年イギリス総選挙グロスター選挙区英語版から出馬し、得票数4位(910票)になったが、候補者4名が全員900票台だったため、4人全員の当選が宣告され(いわゆるdouble return)、選挙の行方は庶民院に委ねられた[5]。その後、ホイッグ党トーリー党の間で妥協が行われ、1人ずつ当選者を出すことになったため、協議の一環としてモアトンが選挙申し立てを取り下げ、落選が決定した[5]

1729年2月、与党派ホイッグ党の候補としてトレゴニー選挙区英語版の補欠選挙に出馬、当選を果たした[1][6]1734年イギリス総選挙では議席を得られなかったが、1735年3月にロストウィシエル選挙区英語版の補欠選挙で当選して議員に復帰した[7]。同1735年5月2日に父が死去すると、デュシー男爵位を継承した[2]。庶民院では常に与党に同調して投票した[1]

1755年から1758年までグロスタシャー統監英語版を務めた[2]

1763年4月27日、グレートブリテン貴族であるグロスタシャーにおけるトートワースのデュシー男爵に叙された[2]。この爵位には姉妹エリザベスの息子トマスフランシスへの特別残余権(special remainder)が定められた[2]

1770年12月25日/27日、生涯未婚のままグロスタシャーのニムスフィールド・パーク(Nymsfield Park)で死去、1771年1月1日にトートワース英語版で埋葬された[2]。第1期のデュシー男爵位は廃絶、第2期のデュシー男爵位は特別残余権に基づき甥トマスが継承した[2]

出典

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  1. ^ a b c d e Lea, R. S. (1970). "MORETON, Hon. Matthew Ducie (bef.1700-1770), of Tortworth, Glos.". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
  2. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 474–475.
  3. ^ a b Lea, R. S. (1970). "Cricklade". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
  4. ^ Lea, R. S. (1970). "Calne". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
  5. ^ a b Matthews, Shirley (1970). "Gloucester". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
  6. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Tregony". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
  7. ^ Cruickshanks, Eveline (1970). "Lostwithiel". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年2月28日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
サー・トマス・リード準男爵英語版
ジェイコブ・ソーブリッジ英語版
庶民院議員(クリックレイド選挙区英語版選出)
1721年 – 1722年
同職:サー・トマス・リード準男爵英語版
次代
サー・トマス・リード準男爵英語版
トマス・ゴア英語版
先代
エドマンド・パイク・ヒース
ジョージ・ダッケット英語版
庶民院議員(カーン選挙区英語版選出)
1723年 – 1727年
同職:エドマンド・パイク・ヒース
次代
ウィリアム・ダッケット英語版
ウィリアム・ウォードー英語版
先代
トマス・スミス英語版
ジョン・ゴッダード英語版
庶民院議員(トレゴニー選挙区英語版選出)
1729年 – 1734年
同職:ジョン・ゴッダード英語版
次代
ヘンリー・ペントン
ジョン・ゴッダード英語版
先代
リチャード・エッジカム
フィリップ・ロイド英語版
庶民院議員(ロストウィシエル選挙区英語版選出)
1735年
同職:リチャード・エッジカム
次代
リチャード・エッジカム
ジョン・クロス英語版
名誉職
先代
バークリー伯爵
グロスタシャー統監英語版
1755年 – 1758年
次代
チェッドワース男爵
グレートブリテンの爵位
先代
マシュー・デュシー・モアトン
デュシー男爵
第1期
1735年 – 1770年
廃絶
爵位創設 デュシー男爵
第2期
1763年 – 1770年
次代
トマス・レノルズ=モアトン