マクラーレン・M5A/1 (McLaren M5A/1) は、ブルース・マクラーレン・モーターレーシングによって製作されたレーシングカーで、マクラーレン初のF1専用車であった。前作のM4B同様、1台のみ製作された。エンジンは3リッターV12BRM・タイプ101を初めて使用し、365 bhpを発揮した。

マクラーレン・M5A
ボニエのドライブするM5A、1968年オランダグランプリ
ボニエのドライブするM5A、1968年オランダグランプリ
カテゴリー F1
コンストラクター ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
デザイナー ロビン・ハード
先代 M4B
後継 M7A
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
サスペンション(前) シングルトップリンク、ラジアスアーム、ロワーウィッシュボーン、アンチロールバー、アウトボードコイルスプリング
サスペンション(後) 上下ウィッシュボーン、アンチロールバー、アウトボードコイルスプリング
エンジン BRM 2,998 cc (182.9 cu in) V12 NA ミッドエンジン, 縦置き
トランスミッション ヒューランド 5速 MT
燃料 シェル
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ブルース・マクラーレン・モーターレーシング
ドライバー ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ
コンストラクターズタイトル 0 (最高位:10位, 1968年
ドライバーズタイトル 0
初戦 1967年カナダグランプリ
出走優勝ポールFラップ
世界選手権:11
+ ノンタイトル戦:3
0 (最高位:1968年南アフリカグランプリ5位)00
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M5Aのデビュー戦はウェットレースとなった1967年カナダグランプリで、序盤でスピンを喫したブルース・マクラーレンは4位まで浮上したが、マシンにオルタネーターを取り付けなかったため電圧の低下したバッテリーを交換するためのピットストップで7位に後退、そのままゴールした。次のイタリアでマクラーレンは予選3位となるが、決勝では4位争いの間にコネクティングロッド2本を破損し、46周目にリタイアした。残る2戦も結果を出せず、いずれもリタイアとなった。

1968年シーズン開幕の南アフリカグランプリをマクラーレンは欠場し、ワールドチャンピオンのデニス・ハルムがM5Aを引き継いだ。M5Aはブラッド・レッドのカラーリングからより明るいオレンジで塗装され、決勝を5位で終えた。

ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム

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スウェーデンのプライベーター、ヨアキム・ボニエは旧式化したクーパー・T81に換えてM5Aを購入し、1968年シーズンの7戦に参加した。加えてその年のレース・オブ・チャンピオンズ、インターナショナルトロフィー、インターナショナルゴールドカップにも参加した。ボニエの最高位はイタリアでの6位であったが、M5Aは遅く信頼性が低いことが明らかになったため、使用を止めて自らのアートギャラリーの壁に掛けて展示した。

車は後で元の色に塗り替えられ、世界中の様々な歴史的なレースに参加した。1999年のグッドウッド・リバイバル・ミーティングでジャック・ブラバムジャッキー・オリバーと共に車を走らせた際、ブラバムは激しくクラッシュし、車から脱出するために切断しなければならなかった。車はその後元の状態にレストアされた。

F1における全成績

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(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位
1967年 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング BRM V12 G RSA
 
MON
 
NED
 
BEL
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
CAN
 
ITA
 
USA
 
MEX
 
3 10位[a]
ブルース・マクラーレン 7 Ret Ret Ret
1968年 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング BRM V12 G RSA
 
ESP
 
MON
 
BEL
 
NED
 
FRA
 
GBR
 
GER
 
ITA
 
CAN
 
USA
 
MEX
 
3 10位
デニス・ハルム 5
ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム BRM V12 G ヨアキム・ボニエ DNQ Ret 8 Ret 6 Ret NC

[a] ^ マクラーレンがシーズン序盤にドライブしたマクラーレン・M4Bによるポイントも含む。

参照

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外部リンク

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