ポートランド伯爵(ポートランドはくしゃく、: Earl of Portland)はイギリスの伯爵位。これまでにイングランド貴族として2度創設されており、第2期のベンティンク家に対する叙爵が現存する。

ポートランド伯爵
Earl of Portland
英国貴族としての紋章

紋章記述

Arms:Azure a Cross Moline Argent.Crest:Out of a Ducal Coronet proper two Arms counter embowed vested Gules on the hands Gloves Or each holding an Ostrich Feather Argent.Supporters:On either side a lion double queued, the dexter Or and the sinister Sable
創設時期1689年4月9日
創設者ウィリアム3世
貴族イングランド貴族
初代初代伯ウィリアム・ベンティンク
現所有者12代伯ティム・ベンティンク英語版
相続人ウッドストック子爵ウィリアム・ベンティンク
相続資格初代伯の嫡出直系男子
付随称号ウッドストック子爵
サイレンセスター男爵
現況存続
旧邸宅ボサル城英語版
ウェルベック・アビー英語版
モットー恥を恐れよ
(Craignez honte)
9代にわたってポートランド公爵位保持、現在は廃絶。
神聖ローマ帝国爵位たるベンティンク伯爵を兼ねる。

9代にわたってポートランド公爵位を保持したため、本記事においては公爵位に関しても詳説する。

歴史

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第1期(1633年)

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リチャード・ウェストン

大蔵卿英語版を務めた政治家リチャード・ウェストン英語版(1577-1634?)イングランド貴族として授けられた例が初出である[1][2]。 彼は1628年4月13日に「サフォーク州ネイランドのウェストン男爵 (Baron Weston, of Neyland in the County of Suffolk) 」に叙されたのち、さらに最晩年にあたる1633年2月17日には「ポートランド伯爵 (Earl of Portland) 」に陛爵した[1][2]。この両爵位には特別継承権が付与されており、彼と叙爵時の後妻フランシス (?-1645) との男子と限定されていた[1]。彼ののちは、後妻フランシスとの息子ジェロームが爵位を相続した[1][3]

2代伯ジェローム英語版(1607-1663) は外交官で駐仏英国大使や駐フィレンツェ公使を歴任した[1][4][5]

その子である3代伯チャールズ (1639-1665)ローストフトの海戦にて嗣子なく戦死したため、爵位は甥のトマス (1609-1688)に相続されたが、彼もまた継承すべき男子を欠いたことですべての爵位は廃絶した[1][5]

第2期(1689年)

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初代ポートランド伯ウィリアム・ベンティンクの肖像、イアサント・リゴー

ウィリアム3世の寵臣ウィリアム・ベンティンク (1649-1709)1689年に「ポートランド伯爵」に叙されたが、この爵位が第2期の創設であり現在まで存続している[6][7]。彼は伯爵位叙爵時に併せて「サイレンセスター男爵 (Baron Cirencester) 」及び「ウッドストック子爵 (Viscount Woodstock) 」を授けられており、いずれの爵位もイングランド貴族爵位である[6][7]。初代伯が1709年に死去すると次男ヘンリーが爵位を相続したほか、三男ウィリアム (1704-1774) は自身の功績によって神聖ローマ帝国貴族たるベンティンク伯爵 (Count Bentinck) に叙されている[6]

2代伯ヘンリー (1682-1726)1716年7月6日グレートブリテン貴族として「ポートランド公爵 (Duke of Portland) 」及び「ティッチフィールド侯爵 Marquess of Titchfield) 」に昇叙して、以降9代にわたって公爵家として存続することになる[8][9]。 初代公ののちは、その息子ウィリアムが爵位を継承した[6][10]

公爵家としてのベンティンク家

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かつての公爵家の邸宅であるウェルビック・アビー英語版
 
ポートランド公爵としての紋章。デヴォンシャー公爵キャヴェンディッシュ家の紋章が半分を占めている。
 
ボサル城英語版

公爵家の旧邸宅の一つで、第一級国定建造物に指定されている。

初代公の孫である3代公ウィリアム (1738-1809)首相を2度務めた政治家で、アメリカ独立戦争期及びナポレオン戦争期の英国を指導した[11][12][13]。 彼は1801年に勅許を得て、家名にキャヴェンディッシュ姓を加えてキャヴェンディッシュ=ベンティンク (Cavendish-Bentinck) を名乗った[注釈 1][9][13]

その息子の4代公ウィリアム (1768-1854)王璽尚書も務めた政治家で、夫人ヘンリエッタの旧姓(スコット)を家名に加えることを認められている[13][14]。 彼の後はその次男ウィリアム・ジョンが爵位を襲った[13]

しかし5代公ウィリアム・ジョン (1800-1879) は独身のまま死去したため、従弟にあたるウィリアム・ジョン・アーサーが公爵位を継承した[注釈 2][9][13]。 また5代公は古いイングランド貴族爵位である「オーグル男爵英語版 (Baron Ogle) 」の共同相続人であったため、その死に伴って継承権の持分は彼の姉妹に細分化された[13]

6代公ウィリアム (1857-1943)枢密顧問官主馬頭英語版を歴任したほか、1893年に母から「ボルゾーバー男爵 Baron Bolsover) 」を継承したため、同爵位はポートランド公爵の従属爵位となった[13][15]。彼が1943年に没すると、爵位は息子のウィリアムが継承した[13]

しかしながら7代公ウィリアム英語版 (1893-1977) には娘しかいなかったため、その死去に伴ってボルゾーバー男爵位は廃絶した一方、ポートランド公爵位は3代公の四男フレデリックの曾孫にあたるファーディナンドに継承された[13]

ただし、8代公ファーディナンド英語版 (1889-1980) にも子供がなかったため、爵位はわずか3年で実弟ヴィクターに相続されている[13]

9代公ヴィクター英語版 (1897-1990)駐ポーランド大使英語版を務めた外交官であったが、彼の一人息子ウィリアム (1925-1966) は父の襲爵時には既に鬼籍に入っていたため、1990年にヴィクターが93歳で亡くなるとポートランド公爵位とティッチフィールド侯爵位は断絶した[13][16]

ポートランド公家からは多くの著名人物が輩出されている。インド総督を務めたウィリアム・ベンティンク卿、穀物法成立の際の政治家ジョージ・キャヴェンディッシュ=スコット=ベンティンク卿などが知られる[13]

ポートランド公爵家の本宅は、ノッティンガムシャーウェルベック・アビーだった。ウェルベック・アビーとそれに付属する所領は、7代公の子孫を通じてキャヴェンディッシュ=ベンティンク家の所有となっている。広大な邸宅は近年、修繕がなされて私的な住居となっている。また、ノーサンバーランドに位置するペグズウッド村もベンティンク家の所有であった。さらに、オーストラリアの町ポートランドロンドンのポートランド・ハウスを保持していた。

イギリス軍の教育機関であるウェルベック・カレッジ英語版は、ポートランド公爵家に因んでいる。

現在のポートランド伯爵家

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ポートランド公爵位は前記のとおり廃絶したが、ポートランド伯爵位はきわめて遠縁にあたるヘンリー・ノエル・ベンティンク英語版 (1919-1997) に相続された。彼はベンティンク伯爵家出身で、初代伯の三男にあたるウィレム・ベンティンク英語版 (1704-1774) にまで遡った子孫である[6][17]。そのためこれ以降、ポートランド伯爵とベンティンク伯爵はその継承者を一にする。

その息子である12代伯ティモシー・チャールズ・ロバート・ノエル・ベンティンク英語版 (1953- )俳優として活動しており、彼が2020年現在のポートランド伯爵家現当主である[6]

なお、オランダ貴族たるベンティンク伯爵家の邸宅は、スホーンヘーテン・ハウスオランダ語版[18]。 また、かつての邸宅アメロンゲン城英語版オランダ語版には亡命したヴィルヘルム2世が短期間ながら居を構えていた[19]

現当主の保有爵位

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神聖ローマ帝国貴族ベンティンク伯爵家としての紋章。英国貴族としての紋章との差異に注意。

現当主である第12代ポートランド伯爵ティモシー・ベンティンク英語版は、以下の爵位を有する[6]

  • 第12代ポートランド伯爵(12th Earl of Portland)
    (1689年4月9日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • 第12代ウッドストック子爵(12th Viscount Woodstock)
    (1689年4月9日の勅許状によるイングランド貴族爵位)
  • 第12代サイレンセスター男爵(12th Baron Cirencester)
    (1689年4月9日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

海外爵位

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ウェストン家

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ポートランド伯爵(第1期;1633年)

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ベンティンク家

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ポートランド伯爵(第2期;1689年)

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ポートランド公爵(1715年)

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ポートランド伯爵(第2期;1689年)

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爵位の法定推定相続人は、現当主の長男であるウッドストック子爵(儀礼称号)ウィリアム・ベンティンク(1984年 - )である。

ベンティンク伯爵(1732年)

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以降の歴代伯爵は、ポートランド伯爵(第2期;1689年)を参照。爵位の法定推定相続人に関しても同じ。

脚注

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注釈

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  1. ^ 3代公の先妻ドロシーは第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの娘であると同時に、彼の母方の祖父は第2代ニューカッスル=アポン=タイン公爵ヘンリー・キャヴェンディッシュであった。
  2. ^ 6代公は3代公の三男の家系にあたっており、彼は4代公爵夫人ヘンリエッタの血を引いていないため、この時からスコット姓が外れている。

出典

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  1. ^ a b c d e f Portland, Earl of (E, 1633 - 1688)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月22日閲覧。
  2. ^ a b WESTON, Richard II (1577-1635), of Roxwell Park, Essex and Nayland, Suff. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年2月22日閲覧。
  3. ^ Mosley, editor Burke's Peerage 107th Edition 2003 Vol 1 p.1084
  4. ^ Gary M. Bell, A handlist of British diplomatic representatives 1509-1688 (Royal Historical Society, Guides and handbooks, 16, 1990).
  5. ^ a b Pollard, Albert (1899). "Weston, Jerome" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 60. London: Smith, Elder & Co. p. 362-363.
  6. ^ a b c d e f g h Portland, Earl of (E, 1689)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月22日閲覧。
  7. ^ a b Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Portland, William Bentinck, Earl of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 22 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 119.
  8. ^ BENTINCK, Henry, Visct. Woodstock (c.1682-1726), of Titchfield, Hants. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2020年2月24日閲覧。
  9. ^ a b c Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. (1921). https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse 
  10. ^ Biography of William Bentinck, 2nd Duke of Portland (1709-1762)”. University of Nottingham. 31 March 2015閲覧。
  11. ^ "No. 12428". The London Gazette (英語). 1 April 1783. p. 1. 2012年4月1日閲覧
  12. ^ "No. 16015". The London Gazette (英語). 31 March 1807. p. 409. 2012年4月1日閲覧
  13. ^ a b c d e f g h i j k l Portland, Duke of (GB, 1716 - 1990)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2020年2月24日閲覧。
  14. ^ "No. 18357". The London Gazette (英語). 1 May 1827. p. 961. 2010年12月19日閲覧
  15. ^ "No. 25615". The London Gazette (英語). 10 August 1886. p. 3854.
  16. ^ Mosley, Charles, editor. Burke's Peerage, Baronetage & Knightage, 107th edition, 3 volumes. Wilmington, Delaware, U.S.A.: Burke's Peerage (Genealogical Books) Ltd, 2003,P=3185
  17. ^ Ruvigny, Melville H. (2000) [1909]. The Nobilities of Europe. Adamant Media Corporation.
  18. ^ Schoonheeten - Landgoederen in Overijssel” (オランダ語). www.landgoedereninoverijssel.nl. 2020年5月7日閲覧。
  19. ^ 義井, 博『ヴィルヘルム二世と第一次世界大戦』清水書院、2018年11月14日、165頁。ISBN 9784389441319 

参考文献

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  • Bentinck, Willem in: P.C. Molhuysen and P.J. Blok (eds.) (1911),Nieuw Nederlandsch Biografisch Woordenboek (NNBW), Deel 1, pp. 302–303

関連項目

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外部リンク

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