ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ
ポリッセナ・クリスティーナ・ダッシア=ローテンブルグ(Polissena Cristina d'Assia-Rotenburg、1706年9月21日 - 1735年1月13日)は、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世の2度目の妃。ドイツ語名ポリクセナ・フォン・ヘッセン=ローテンブルク=ラインフェルス(Polyxena von Hessen-Rotenburg-Rheinfels)。
ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ Polissena d'Assia-Rotenburg | |
---|---|
サルデーニャ王妃 | |
| |
在位 | 1730年9月3日 - 1735年1月13日 |
出生 |
1706年9月21日 神聖ローマ帝国、ランゲンシュヴァルバッハ |
死去 |
1735年1月13日(28歳没) サルデーニャ王国、トリノ |
埋葬 |
1786年8月26日 サルデーニャ王国、トリノ、スペルガ大聖堂 |
結婚 | 1724年8月20日 トルン |
配偶者 | サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ3世 |
子女 |
ヴィットーリオ・アメデーオ3世 エレオノーラ マリア・ルイーザ・ガブリエラ マリア・フェリーチタ エマヌエーレ・フィリベルト カルロ・フランチェスコ |
家名 | ヘッセン家 |
父親 | ヘッセン=ローテンブルク辺境伯エルンスト2世レオポルト |
母親 | エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォール |
生涯
編集ヘッセン=ローテンブルク辺境伯エルンスト2世レオポルトとその妻エレオノーレ・ツー・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ロシュフォールの間の長女として、ランゲンシュヴァルバッハ(現バート・シュヴァルバッハ、ヘッセン州)で生まれる。1724年、トルンでカルロ・エマヌエーレと結婚、6子をもうけた。
- ヴィットーリオ・アメデーオ3世(1726年 - 1796年) - サルデーニャ王
- エレオノーラ(1728年 - 1781年)
- マリア・ルイーザ・ガブリエラ(1729年 - 1767年)
- マリア・フェリーチタ(1730年 - 1801年)
- エマヌエーレ・フィリベルト(1731年 - 1735年) - アオスタ公
- カルロ・フランチェスコ(1733年、夭折)
ポリッセナは1735年に急死し、サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂へ埋葬された。1786年、トリノのスペルガ大聖堂へ移葬された。
ポリッセナ・ダッシア=ローテンブルグ
| ||
イタリア王室 | ||
---|---|---|
先代 アンナ・マリーア・ドルレアンス |
サルデーニャ王妃 1730年9月3日 – 1735年1月13日 |
次代 エリザベッタ・テレーザ・ディ・ロレーナ |