ポラック・ミハーリ
ハンガリーの建築家 (1773-1855)
ポラック・ミハーリー(洪:Pollack Mihály)(1773年8月30日-1855年1月5日)はハンガリーの新古典主義様式の建築家である。主な建築はハンガリー国立博物館 (1837–46)、ルードヴィカ軍事アカデミー。
1773年、ウィーンに生まれる。93年あるいは94年、異母兄弟で建築家のレオポルト・ポラックのいるミラノに移り住む。98年、ペシュトに転居、1808年から街の美観化に力を発揮する。1810年から30年にかけて住宅の設計、その後に宮殿や公共施設の設計を手掛ける。27年には当時ブラチスラヴァにあったルードヴィカ軍事アカデミーがペシュトに移動してきたために、1830年から36年にかけてそのための新しい建物の設計を行った[1] 。彼の設計様式はバロック様式から新古典主義へと推移していった[2]。1855年、ペシュトにて81歳で没。
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シャーンドル宮殿, ブダペシュト (1803-06)
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ルードヴィカ軍事アカデミー (1828–36)
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ハンガリー国立博物館 (1837–46)