ポッリカ
コムーネ
ポッリカ(イタリア語: Pollica)は、イタリア共和国カンパニア州サレルノ県にある、人口約2,400人の基礎自治体(コムーネ)。
ポッリカ Pollica | |
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ピオッピ地区 | |
行政 | |
国 | イタリア |
州 | カンパニア |
県/大都市 | サレルノ |
CAP(郵便番号) | 84068 |
市外局番 | 0974 |
ISTATコード | 065098 |
識別コード | G796 |
分離集落 | #分離集落参照 |
隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
地震分類 | zona 3 (sismicità bassa) |
気候分類 | zona D, 1507 GG |
公式サイト | リンク |
人口 | |
人口 | 2,363 [1] 人 (2018-01-01) |
人口密度 | 85.2 人/km2 |
文化 | |
住民の呼称 | pollichesi |
守護聖人 | バーリの聖ニコーラ (San Nicola di Bari) |
祝祭日 | |
地理 | |
座標 | 北緯40度11分0秒 東経15度04分0秒 / 北緯40.18333度 東経15.06667度座標: 北緯40度11分0秒 東経15度04分0秒 / 北緯40.18333度 東経15.06667度 |
標高 | 370 (0 - 1100) [2] m |
面積 | 27.72 [3] km2 |
サレルノ県におけるコムーネの領域 | |
ポータル イタリア |
歴史
編集8世紀には現在の町中心地の北側に小村が出来ていたが、後に放棄された。ポッリカが最初に記録されているのは、1113年にタルギシウス2世サンセヴェリーノがカヴァのアボット家に土地を寄付したという法的文書にまでさかのぼる。13世紀には村がアレマーニャ家に所有されており、その後カパーノ家に売却したとされる。一部は1410年までカヴァ・ディ・ティレニ三位一体修道院の管轄地となっていた。
18世紀には、公国の称号を持つカパーノ家の正式な領地となっていた。カパーノ家は1795年まで統治するが、その後継承者が生まれず荘園制度の終了する1806年までは公有地となった。1811年から1860年までは両シチリア王国のヴァッロ郡の首府となった。イタリア王国時代の1860年から1927年までは、ヴァッロ・デッラ・ルカーニア郡の首府であった。
1997年、町はカパーノ城(Castello Capano)を購入。この城は12世紀にまでさかのぼるが、現在の構成は主に1610年にポッリカ王子ヴィンチェンゾ・カパーノ15世によって完成されたものである。
2010年9月に、アンジェロ・ヴァッサロ市長がカモッラ(マフィアに属する犯罪組織)に間違われ殺害された[5]。
地理
編集位置・広がり
編集隣接コムーネ
編集隣接するコムーネは以下の通り。
行政
編集分離集落
編集ポッリカには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Acciaroli, Cannicchio, Celso, Galdo, Pioppi
文化・観光
編集「スローシティ」加盟都市である。
脚注
編集- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Total Resident Population on 1st January 2018 by sex and marital status” (英語). 2019年1月14日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Popolazione residente - Salerno (dettaglio loc. abitate) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年1月26日閲覧。
- ^ 国立統計研究所(ISTAT). “Tavola: Superficie territoriale (Kmq) - Salerno (dettaglio comunale) - Censimento 2001.” (イタリア語). 2014年1月26日閲覧。
- ^ “字幕:10人に1人が100歳以上、イタリア「長寿村」の秘密 研究”. AFP. (2016年12月26日) 2017年1月21日閲覧。
- ^ Pollica, ucciso il sindaco Vassallo. Crivellato di colpi sotto casa, la Repubblica, 6 settembre 2010
外部リンク
編集- ポッリカ公式ウェブサイト(イタリア語)
- ポッリカ市観光局公式ウェブサイト(イタリア語・英語)