ホリタは、北海道函館市で衣料品店から発展したスーパーマーケット[6]。 北海道のスーパーマーケットのはしりとされる[7]

株式会社 堀田洋服店[1]

株式会社 ホリタ[1]
種類 株式会社
本社所在地 北海道函館市本町22-2[2][3]
設立 1953年昭和28年)9月11日[1][3]
業種 スーパーマーケット[1]
資本金 150万円(設立時)[4]

3000万円(1964年(昭和39年)2月)[2]

5000万円(1968年(昭和43年)12月)[2]
売上高 約98億1000万円(1985年(昭和60年)度)[3]
従業員数 411[3]
決算期 8月期[2][5]
主要株主 堀田政治郎18.2%[2]
堀田純一9.1%[2]
主要子会社 九条[3]・蔵屋[3]・ホリタ不動産開発[3]・ハウジングホリタ[3]
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歴史・概要

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1926年(大正15年)8月に[5]堀田政治郎が函館市東雲町で洋服仕立業の[1]「音羽洋服店」を開いたのが始まりである[8]

1935年(昭和10年)から1944年(昭和19年)までは[8]「堀田裁縫工場」として[9]既製服製造卸業を行っていた[8]

1949年(昭和24年)に既製服小売業に参入し[8]1953年(昭和28年)9月11日[1]資本金150万円で[4]「株式会社 堀田洋服店」を設立した[1]

1955年(昭和30年)に「株式会社 ホリタストア」へ商号を変更し[8]1956年(昭和31年)10月に函館市本町に移転して小売専業に転換した[1]

1957年(昭和32年)2月に本店を函館市若松町に移転した[1]

1959年(昭和34年)11月に(初代)五稜郭店を開業してスーパーマーケット事業に参入した[10]

1967年(昭和42年)11月に「株式会社 ホリタ」へ商号を変更した[5]

1970年(昭和45年)11月16日に「ハイショップホリタ」を開店させ[11][12]丸井今井と共に五稜郭地区の核店舗となるなど昭和30年代から昭和40年代にかけて大きく成長した[7]。 > しかし、昭和40年代後半には不動産投資が裏目に出て財務基盤を棄損する事態に陥ったため、1976年(昭和51年)11月にダイエーと業務提携して役員4名の派遣などを受け入れて経営再建を進め、イトーヨーカ堂長崎屋西武百貨店の相次ぐ進出に伴う競争激化にも耐えて、経営再建を果たした[7]

1988年(昭和63年)9月から「北海道ダイエー」の支援を受けて、ダイエーと業務提携を行っていた棒二森屋系のスーパー「ボーニストア」と商品・運営方法・システムの一体化を進めた[13]

そして、1990年(平成2年)3月1日に同じく「ボーニストア」と合併して[14]、「北海道ダイエー」の完全子会社の[13]「函館ダイエー」となった[14]

さらに、1993年(平成5年)10月15日に同じくダイエーの子会社となっていた「西村」の9店舗の営業を譲受して「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」へ商号を変更し、同年11月1日に本社を札幌市に移転した[15]

年表

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  • 1926年(大正15年)8月[5] - 堀田政治郎が函館市東雲町で洋服仕立業の[1]「音羽洋服店」を開業[8]
  • 1935年(昭和10年)から1944年(昭和19年)[8] - 「堀田裁縫工場」として[9]既製服製造卸業を営業[8]。。
  • 1949年(昭和24年) - 既製服小売業に参入[8]
  • 1953年(昭和28年)9月11日[1] - 資本金150万円で[4]「株式会社 堀田洋服店」を設立[1]
  • 1955年(昭和30年) - 「株式会社 ホリタストア」へ商号を変更[8]
  • 1956年(昭和31年)10月 - 函館市本町に移転して小売専業に転換[1]
  • 1967年(昭和42年)11月 - 「株式会社 ホリタ」へ商号を変更[5]
  • 1970年(昭和45年)11月16日 - 「ハイショップホリタ」を開店[11][12]
  • 1976年(昭和51年)11月 - ダイエーと業務提携して役員4名の派遣などを受け入れる[7]
  • 1988年(昭和63年)9月 - 棒二森屋系のスーパー「ボーニストア」と商品・運営方法・システムを一体化[13]
  • 1990年(平成2年)3月1日 - 「ボーニストア」と合併し、「函館ダイエー」となる[14]
  • 1993年(平成5年)
    • 10月15日 - 「西村」の9店舗の営業を譲受し、「北海道スーパーマーケットダイエー株式会社」へ商号を変更[15]
    • 11月1日 - 本社を札幌市に移転[15]

かつて展開されていた店舗

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函館市

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西部地区

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  • エル・ホリタ[16] → ブティック ホリタ[5](函館市若松町3-8[5][16]、1970年(昭和45年)11月8日閉店[17]
売場面積1,332m2[16]
高級な婦人服・洋品雑貨店で、婦人服を中心に子供服やインテリア用品なども販売していた[18]
店舗跡は商工組合中央金庫になった[18]
  • VAN ホリタ(函館市松風町6-14[5][16]
売場面積274m2[16]
全国初の「VAN」の名称を許された専門店だった[18]
  • サンチェーン高砂通り店(函館市松風町20-6[19]1983年(昭和58年)11月25日開店[19]
函館駅前の高砂通り沿いに当社としては実験的に出店したコンビニエンスストア[19]、レストラン子会社の「株式会社 九条」が運営していた[20]
ダイエーグループのコンビニエンスストア再編に伴い、「株式会社 九条」からローソン・ジャパンに営業権を譲渡し、1986年(昭和61年)12月3日に直営の「ローソン函館松風町店」として新装開店した[21]
売場面積401m2[16]
柏木プラザへの出店に伴うスクラップアンドビルドで閉店となった[23]
  • 銀座店(函館市宝来町22-18[24][5][16]、1965年(昭和40年)4月4日開店[24]
売場面積407m2[16]
中村鎭が特許を取った「中村式ブロック」を用いた鉄筋コンクリート造の建物では1920年(大正9年)10月と最初に着工した映画館「錦輝館」の建物に出店していた[25]

中央地区

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売場面積825m2[27][26]
  • (2代目)ハイショップホリタ五稜郭店(函館市本町22-2[28]、1970年(昭和45年)11月16日開店[11][12]
敷地面積約2,053m2[29]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋1階[29]、延べ床面積約10,921m2[29]、店舗面積約6,620m2[29](当社店舗面積約5,486m2[29])、駐車台数約50台[29]
開業時点では、地下1階が食品で、1階が衣料品や雑貨を扱うファッション、2階が若者向け、3階が婦人向け、4階が家電や住関連雑貨、5階が下着・玩具・催事場、6階がレストラン街、7階がプレイランドとなっていた[30]
オイルショック以降は高級家具などの高級品の売上が伸び悩んだこともあり、ダイエーとの提携後は大衆化路線へ転換し、商品構成を大きく変更した[30]
(2代目)ショツパーズプラザ湯の川店の開業に伴い、差別化の為に再び都心型店に相応しい高級品や専門店の導入などを行う店舗形態へ方向転換を図り、1984年(昭和59年)8月15日に6階にバラエティーマート「おもしろ横丁」を開設するなどして新装開店した[31]
開店以来初の地下食品売り場の改装を行って、多段式の冷蔵ケースの導入などで生鮮食品の品揃えを約2倍に増やし、1985年(昭和60年)12月7日に新装開店した[32]
  • 堀川町店(函館市千代ヶ岱町2-4[5][16]1963年(昭和38年)4月開店[26]
売場面積825m2[27]
  • 柏木店(函館市柏木町11-1[33]、1976年(昭和51年)12月1日開店[34]
延べ床面積約8,092m2[34]、売場面積1,489m2[34]
五稜郭地区と湯川地区の中間にあるマンション「ホリタ柏木プラザ」に併設して出店していた[35]
  • 港店(函館市港町1-20-17[36]、1972年(昭和47年)7月開店[36]
売場面積277m2[36]
  • 田家店(函館市田家町14-32[33][36]、1972年(昭和47年)8月開店[36]
売場面積370m2[37]

東央地区

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  • 深堀店(函館市深堀町22-45[24][5][16]、1966年(昭和41年)10月1日開店[24]
売場面積174m2[24][16]
  • (初代)湯川店(函館市湯川町2-18-5[16]、1967年(昭和42年)6月17日開店[34]
延べ床面積約1,778m2[34]、売場面積758m2[16] → 1,476m2[34]
近隣の一次商圏をがっちりと抑え、末期には売上高14億円から15億円を上げていた[38]
  • (2代目)ホリタショツパーズプラザ湯の川店(函館市湯川町3-14-15[39]、1981年(昭和56年)10月1日[40]
    敷地面積約8,000m2[41]、地上2階建て・一部4階建て[42]、延べ床面積約12,007m2[28]、店舗面積5,500m2[42] → 6,000m2[42]。駐車台数約600台[41]
    ホクシー函館工場跡にテーオー小笠原グループのテーオーハウスが建設したビルの核店舗として開店した[39]
    開業後1年間は売場面積が5,500m2で、2年目以降が6,000m2とされていたため、開業1年後に増床することになった[42]。駐車台数約600台[41]
    開業時には3階と4階には本社機能が入居し[43]、函館ダイエーとなった後も本社を置いていた[44]

北部地区

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  • 富岡店(函館市富岡町1-24-1[33]、1972年(昭和47年)11月10日開店[34]
延べ床面積約1,048m2[34]、売場面積485m2[37] → 579m2[34]
  • 赤川店(函館市美原1-19-22[36]、1973年(昭和48年)4月開店[36] - 1983年(昭和58年)10月閉店[45]
売場面積397m2[36]
地元のスーパーを借りて出店していた小型スーパーだったが[46]、長崎屋とイトーヨーカ堂が赤川地区に進出したことにより業績が低迷し[46]1983年(昭和58年)10月に閉店した[45]
国道5号線と産業道路の交差点の一角の石川町の「日産サニー」(現・函館日産自動車石川店)の隣接地に約3,000坪の土地を確保して、スクラップアンドビルドの形で店舗面積約7,000m2の(2代目)赤川店の出店を目指していた[46]
  • 亀田店(函館市亀田町20-6[24]、1971年(昭和46年)7月24日開店[24]
売場面積198m2[24][37]
  • 山の手店(函館市山の手2-35[47]、1989年(平成元年)4月26日[47]
    平屋建て・延べ床面積約830m2[48]、店舗面積約500m2[48]。駐車台数約40台[48]

伊達市

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  • 伊達店(伊達市梅本町37[49]、1986年(昭和61年)12月5日[3] - 2009年(平成21年)9月30日[50]
    敷地面積約8,246m2[49]、延べ床面積約4,455m2[49]、店舗面積2,000m2[49]
    鉄筋コンクリート造平屋建てで、屋上駐車台数約110台と平面駐車場約210台を併設していた[49]

札幌市

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  • 札幌北店(札幌市北23条西5丁目[51]
売場面積826m2[51]
  • 札幌南店(札幌市南2条西2丁目[51]
売場面積992m2[51]

過去に存在した事業所

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敷地面積約16,500m2[6]
1階が豚舎で2階が鶏舎となった畜舎で、養豚と養鶏を行い、鶏卵および鶏肉と豚肉の直営生産を行っていた[6]

過去に存在した関連会社

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  • 株式会社 九条
1974年(昭和49年)に「ハイショップホリタ」6階に開店し、1975年(昭和50年)に隣接地に別館を開設した[52]
別館は建替えられ、1985年(昭和60年)12月に「ホリタファインビル」の完成に伴い、その1階と2階に新装開店した[52]
札幌市や苫小牧市にも出店したが撤退し、ホリタの各店舗でのファーストフード店やワイン・リキュール部門の運営を担当した[52]
  • 蔵屋[3]
  • 株式会社 ホリタ不動産開発(函館市湯川町2-18-8[53]
森町赤井川地区で別荘地「ホリタ大沼ハイランド」(約83万ha)の分譲などを手掛けていた[53]
  • 株式会社 ハウジングホリタ[3](札幌市南11条西7丁目[54]
家具・照明器具販売[54]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1970年。pp1755-1756
  2. ^ a b c d e f 『日本会社録 第7版』 交詢社出版局、1970年。pp357
  3. ^ a b c d e f g h i j k “ホリタ新展開への布石、ダイエーグループ入り10年、(株)ホリタ、新体制の中で堀田純一氏営業第一線退き取締役会長に”. はこだて財界 1987年2月号 (函館財界問題研究所) (1987年2月).pp4
  4. ^ a b c 『日本繊維商社銘鑑 1970年版』 東京信用交換所、1969年10月1日。pp1620
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本職員録 第14版 下』 人事興信所、1972年6月20日。ppほ6
  6. ^ a b c d e 『養鶏新時代 外国びなの日本上陸の現状をつく』 日本農林企画協会、1963年9月30日。pp158
  7. ^ a b c d “ダイエーとの提携五年余で独り立ちした地元スーパーの"雄"ホリタ年商百億を突破! 堀田純一社長を頂点にファミリーによる新陣容で第二の発展期に入る”. はこだて財界 1982年8月号 (函館財界問題研究所) (1982年8月).pp30
  8. ^ a b c d e f g h i j 『大衆人事録 第22版 東日本篇』 帝国秘密探偵社、1962年3月1日。pp607
  9. ^ a b c d 『全国工場通覧 昭和43年版』 日刊工業新聞社、1940年10月25日。pp1722
  10. ^ a b 『大型販売店調査年鑑 1964年版』 富士経済、1964年3月10日。ppA-1
  11. ^ a b c 『函館市史資料集 続 第2号 函館市史年表草稿・自658年至1970年』 函館市史編さん事務局、1972年。 pp291
  12. ^ a b c “戦後の好調期 高度成長の波にのる第14・15・16・17代市長・矢野康氏”. はこだて財界 1982年8月号 (函館財界問題研究所) (1982年8月).pp58
  13. ^ a b c “ダイエーグループ(株)ホリタと(株)ボーニストア糾合の新会社函館ダイエー(株)、いよいよ3月1日船出”. はこだて財界 1990年2月号 (函館財界問題研究所) (1990年2月).pp30
  14. ^ a b c “ホリタとボーニストアを合併の新会社 函館ダイエー(株)誕生”. はこだて財界 1990年4月号 (函館財界問題研究所) (1990年4月).pp150-151
  15. ^ a b c “函館商圏を包囲するダイエー”. はこだて財界 1993年12月号 (函館財界問題研究所) (1993年12月).pp30
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp131
  17. ^ “新都心五稜郭に核店舗をオープンしたハイショップホリタの15年”. はこだて財界 1984年12月号 (函館財界問題研究所) (1984年12月).pp106
  18. ^ a b c “新都心五稜郭に核店舗をオープンしたハイショップホリタの15年”. はこだて財界 1984年12月号 (函館財界問題研究所) (1984年12月).pp104-105
  19. ^ a b c “ホリタコンビニエンスに進出”. はこだて財界 1984年1月号 (函館財界問題研究所) (1984年1月).pp100
  20. ^ “ホリタコンビニエンスに進出”. はこだて財界 1984年1月号 (函館財界問題研究所) (1984年1月).pp101
  21. ^ “第二次函館流通戦争大手コンビニエンスストアの出店攻勢始まる!!ダイエー系ローソン・ジャパン、函館駅前地区での直営1号店に続き中島廉亮通りと十字街銀座通りにFC店相次いでオープン!”. はこだて財界 1987年2月号 (函館財界問題研究所) (1987年2月).pp8-11
  22. ^ “開店ニュース”. 販売革新 1968年4月号 (アール・アイ・シー) (1968年4月).pp156
  23. ^ “このローカルスーパーマーケットはなぜ閉店した!?”. 販売革新 1977年2月号 (アール・アイ・シー) (1977年2月).pp217-221
  24. ^ a b c d e f g h 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp543
  25. ^ 角幸博 『マックス・ヒンデル田上義也 大正・昭和前期の北海道建築界と建築家に関する研究』 北海道大学、1995年9月29日。pp38-39
  26. ^ a b c d 『食品工業総合名鑑 1964年版』 光琳書院、1964年4月28日。pp1-23
  27. ^ a b c 『日本セルフ・サービス年鑑 1966年版』 日本セルフ・サービス協会、1965年11月10日。pp424
  28. ^ a b “大型店の規制緩和方針でニトリを始め、テーオー小笠原、函館西武など増床計画目白押し”. はこだて財界 1989年1月号 (函館財界問題研究所) (1989年1月).pp60
  29. ^ a b c d e f 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp39
  30. ^ a b “新都心五稜郭に核店舗をオープンしたハイショップホリタの15年”. はこだて財界 1984年12月号 (函館財界問題研究所) (1984年12月).pp107
  31. ^ “新都心五稜郭に核店舗をオープンしたハイショップホリタの15年”. はこだて財界 1984年12月号 (函館財界問題研究所) (1984年12月).pp109
  32. ^ “五稜郭都心のハイショップホリタ地下食品街全面リフレッシュオープン!”. はこだて財界 1986年1月号 (函館財界問題研究所) (1986年1月).pp16-17
  33. ^ a b c “ホリタ広告”. はこだて財界 1990年3月号 (函館財界問題研究所) (1990年3月).pp191
  34. ^ a b c d e f g h i “大規模チェーンのグループ入りするか流通業界再編成のアラシの中で整理されるか転機に立つ地場中小スーパー”. はこだて財界 1982年4月号 (函館財界問題研究所) (1982年4月).pp28
  35. ^ “五稜郭と湯川を核に全市的なSMを展開するホリタの営業最前線を支える群像”. はこだて財界 1986年8月号 (函館財界問題研究所) (1986年8月).pp107
  36. ^ a b c d e f g h 『会員名簿 1981年』 日本セルフ・サービス協会、1980年12月25日。pp36
  37. ^ a b c “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年4月25日号 (矢野経済研究所) (1980年4月25日).pp28
  38. ^ “開業二年目、本格的郊外型ショッピングセンターとして定着段階に入るホリタショッパーズプラザ湯の川店”. はこだて財界 1982年11月号 (函館財界問題研究所) (1982年11月).pp40
  39. ^ a b “ホリタ.新店、ホリタショツパーズプラザ湯の川店オーブン”. はこだて財界 1981年11月号 (函館財界問題研究所) (1981年11月).pp12
  40. ^ “ホリタ.新店、ホリタショツパーズプラザ湯の川店オーブン”. はこだて財界 1981年11月号 (函館財界問題研究所) (1981年11月).pp6
  41. ^ a b c “ホリタ.新店、ホリタショツパーズプラザ湯の川店オーブン”. はこだて財界 1981年11月号 (函館財界問題研究所) (1981年11月).pp13
  42. ^ a b c d “開業二年目、本格的郊外型ショッピングセンターとして定着段階に入るホリタショッパーズプラザ湯の川店”. はこだて財界 1982年11月号 (函館財界問題研究所) (1982年11月).pp41
  43. ^ “道内流通業界の"雄"ホリタの逆襲”. はこだて財界 1981年9月号 (函館財界問題研究所) (1981年9月).pp120
  44. ^ “発足1年の函館ダイエー、200億円企業への挑戦目ざし新規出店、まず八雲地区に出展計画打ち上げる”. はこだて財界 1991年2月号 (函館財界問題研究所) (1991年2月).pp159
  45. ^ a b “ホリタコンビニエンスに進出”. はこだて財界 1984年1月号 (函館財界問題研究所) (1984年1月).pp102
  46. ^ a b c “モーレツ出店の巻き返しに出るホリタ・ダイエー連合軍”. はこだて財界 1981年5月号 (函館財界問題研究所) (1981年5月).pp97-99
  47. ^ a b “ホリタ山の手店オープン、住宅地密着の商品サービス提供で人気集める”. はこだて財界 1989年6月号 (函館財界問題研究所) (1989年6月).pp124
  48. ^ a b c “ホリタ山の手店オープン、住宅地密着の商品サービス提供で人気集める”. はこだて財界 1989年6月号 (函館財界問題研究所) (1989年6月).pp126
  49. ^ a b c d e “創業61年、ダイエーと提携10年、(株)ホリタ伊達市に出店、ホリタ伊達店オープン”. はこだて財界 1987年1月号 (函館財界問題研究所) (1987年1月).pp150
  50. ^ 伊藤教雄(2009年10月1日). “グルメシティ伊達店が閉店、23年間の利用に感謝”. 室蘭民報 (室蘭民報社)
  51. ^ a b c d 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp128
  52. ^ a b c “宴会にランチタイムに受けに受ける五稜郭ホリタファイブィンビル、和風レストラン・宴会処九条”. はこだて財界 1986年1月号 (函館財界問題研究所) (1986年1月).pp-79-81
  53. ^ a b “函館・大沼地区観光開発10年 兵どもが夢の跡”. はこだて財界 1984年12月号 (函館財界問題研究所) (1984年12月).pp43
  54. ^ a b 『北海道年鑑 1976年版』 北海道新聞社、1976年1月20日。pp680

関連項目

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  • 魚長 - かつてテナントとして入居していた鮮魚店。ホリタのダイエーとの提携を理由にスーパーマーケットへ転換。