ホセ・マリア・オラサバル
ホセ・マリア・オラサバル・マンテローラ(José Maria Olazábal Manterola, 1966年2月5日 - )は、スペイン・バスク州ギプスコア県オンダリビア出身のプロゴルファーである。1994年と1999年の2度、マスターズで優勝した。ヨーロピアンツアーで通算21勝、アメリカPGAツアーでマスターズを含む6勝を挙げ、日本でも1989年と1990年の「三井住友VISA太平洋マスターズ」で大会2連覇を記録している。身長178cm、体重78kg。独身。
José Maria Olazábal | |
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基本情報 | |
名前 | ホセ・マリア・オラサバル |
生年月日 | 1966年2月5日(58歳) |
身長 | 178 cm (5 ft 10 in) |
体重 | 78 kg (172 lb) |
国籍 | スペイン |
出身地 | バスク州オンダリビア |
経歴 | |
プロ転向 | 1985年 |
成績 | |
優勝回数 |
欧州23・米国6・日本2 メジャー:1994年・99年マスターズ |
初優勝 | 1986年スイス・オープン |
世界ランク最高位 | 4位(1994年10月) |
賞金ランク最高位 | 2位(欧州1986年・89年) |
殿堂表彰者 | |
選出年 | 2009年 |
選出部門 | 国際投票 |
2012年11月28日現在 |
来歴
編集1985年にプロ入り。1986年に「エベル・ヨーロピアン・マスターズ・スイス・オープン」でヨーロピアンツアー初優勝。1987年にアメリカ代表チームとヨーロッパ選抜チームによる団体戦「ライダーカップ」で、ヨーロッパ選抜代表選手に初選出される。アメリカPGAツアーでの初優勝は、1990年の「NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ」であった。1994年のマスターズでメジャー大会初優勝を飾り、スペイン人のゴルファーとしてセベ・バレステロス(1980年&1983年の2度優勝)以来のマスターズ優勝者となった。この年は「NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ」でも4年ぶり2度目の優勝がある。
ところが1995年の後半から足の病気を患い、ライダーカップの出場辞退を余儀なくされる。オラサバルは「リウマチ性多発関節炎」と診断され、1996年のシーズンは全くプレーできなかった。その闘病期間中は歩行も困難な状態で、ほとんど寝たきり同然の生活だったという。1997年3月初頭の「ドバイ・デザート・クラシック」で18ヶ月ぶりに復帰し、3月23日に「ツレスパナ・マスターズ・オープン・ド・カナリア」(Turespana Masters Open de Canarias)で復活優勝を飾った。1999年のマスターズで、オラサバルはデービス・ラブ3世とグレグ・ノーマンの追撃を振り切って5年ぶり2度目の優勝を飾る。歩行困難な時期もあった闘病生活を克服しての復活優勝だった。アメリカツアーでは、2002年の「ビュイック招待」で6勝目を挙げている。
2005年の全英オープンで、オラサバルは繰り上げから出場資格を獲得し、予選ラウンドの2日間と最終日をタイガー・ウッズと一緒に回った。(ウッズは3日目だけコリン・モンゴメリーが同伴競技者だった。)オラサバルは 8 アンダーパー(-8, 280ストローク)で3位タイに終わり、ウッズの「ダブル・グランドスラム」達成に立ち会うことになった。その後欧州PGAツアーで3年ぶりの優勝を果たし、10月に地元スペインの「マヨルカ・クラシック」を制した。2006年のマスターズで3位タイに入った後、再び故障に悩まされ、最近は満足にツアー大会出場をこなせない年月が続いているという。
日本ゴルフツアー主催のトーナメントでも、1989年と1990年の「VISA太平洋クラブマスターズ」で大会2連覇を達成している。
オラサバルは長年にわたり、スペイン国内にある多数のゴルフコースの設計も手がけてきた。2004年のEMCワールドカップ会場として使用されたセビリアの「リアル・クラブ・ド・ゴルフ」(Real Club de Golf de Seville)は、オラサバルが設計したコースである。
2009年の世界ゴルフ殿堂入り(国際部門)が決定している。2013年にはライダーカップで欧州チームの優勝を貢献したことにより、アストゥリアス皇太子賞のスポーツ部門を受賞した。
プロ優勝 (30)
編集欧州ツアー優勝 (23)
編集
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No. | Date | Tournament | 優勝スコア | 2位との差 | 2位(タイ) |
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1 | 7 Sep 1986 | Ebel European Masters Swiss Open | −26 (64-66-66-66=262) | 3打差 | アンダース・フォースブランド |
2 | 12 Oct 1986 | 三洋オープン | −15 (69-68-69-67=273) | 3 strokes | ホワード・クラーク |
3 | 19 Jun 1988 | ボルボ・ベルギーオープン | −15 (67-69-64-68=269) | 4 strokes | マイク・スミス |
4 | 25 Sep 1988 | ジャーマン・マスターズ | −9 (69-72-70-68=279) | 2 strokes | アンダース・フォースブランド, デス・スマイス |
5 | 26 Feb 1989 | Tenerife Open | −13 (69-68-68-70=275) | 3 strokes | ホセ・マリア・カニザレス |
6 | 30 Jul 1989 | KLM Dutch Open | −11 (67-66-68-76=277) | Playoff | ロジャー・チャップマン, Ronan Rafferty |
7 | 7 May 1990 | Benson & Hedges International Open | −9 (69-68-69-73=279) | 1 stroke | イアン・ウーズナム |
8 | 24 Jun 1990 | Carroll's Irish Open | −6 (67-72-71-72=282) | 3 strokes | マーク・カルカベッキア, フランク・ノビロ |
9 | 16 Sep 1990 | トロフィー・ランコム | −11 (68-66-70-65=269) | 1 stroke | コリン・モンゴメリー |
10 | 17 Mar 1991 | Open Catalonia | −17 (66-68-64-73=271) | 6 strokes | David Feherty |
11 | 22 Sep 1991 | Epson Grand Prix of Europe | −19 (64-68-67-66=265) | 9 strokes | マーク・ジェームス |
12 | 23 Feb 1992 | Turespana Open de Tenerife | −20 (71-68-66-63=268) | 5 strokes | ミゲル・アンヘル・マーティン |
13 | 1 Mar 1992 | Open Mediterrania | −12 (68-71-69-68=276) | 2 strokes | ホセ・リベロ |
14 | 6 Mar 1994 | Turespana Open Mediterrania | −12 (70-65-71-70=276) | Playoff | ポール・マッギンリー |
15 | 10 Apr 1994 | マスターズ・トーナメント | −9 (74-67-69-69=279) | 2 strokes | トム・レーマン |
16 | 30 May 1994 | Volvo PGA Championship | −17 (67-68-71-65=271) | 1 stroke | アーニー・エルス |
17 | 23 Mar 1997 | Turespana Masters Open de Canarias | −20 (70-67-68-67=272) | 2 strokes | リー・ウエストウッド |
18 | 1 Mar 1998 | ドバイ・デザート・クラシック | −19 (69-67-65-68=269) | 3 strokes | ステーヴン・アラン |
19 | 11 Apr 1999 | マスターズ | −8 (70-66-73-71=280) | 2 strokes | デービス・ラブ3世 |
20 | 14 May 2000 | Benson & Hedges International Open | −13 (75-68-66-66=275) | 3 strokes | フィリップ・プライス |
21 | 6 May 2001 | オープン・ド・フランス | −12 (66-69-66-67=268) | 2 strokes | ポール・アールズ, コスタンティオ・ロッカ, グレッグ・ターナー |
22 | 2 Dec 2001 | Omega Hong Kong Open | −22 (65-69-64-64=262) | 1 stroke | ヘンリク・ビヨルンスタ |
23 | 23 Oct 2005 | Mallorca Classic | −10 (69-65-70-66=270) | 5 strokes | ポール・ブロードハースト, セルヒオ・ガルシア, ホセ・マヌエル・ララ |
PGAツアー (6)
編集
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No. | Date | Tournament | 優勝スコア | 2位との差 | 2位(タイ) |
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1 | 26 Aug 1990 | NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ | −18 (61-67-67-67=262) | 12 strokes | ラニー・ワドキンス |
2 | 18 Aug 1991 | ザ・インターナショナル | 10 points (5-6-8-10) | 3 points | イアン・ベーカーフィンチ, スコット・ガンプ, ボブ・ローア |
3 | 10 Apr 1994 | マスターズ・トーナメント | −9 (74-67-69-69=279) | 2 strokes | トム・レーマン |
4 | 28 Aug 1994 | NECワールドシリーズ・オブ・ゴルフ | −19 (66-67-69-67=269) | 1 stroke | スコット・ホーク |
5 | 11 Apr 1999 | マスターズ | −8 (70-66-73-71=280) | 2 strokes | デービス・ラブ3世 |
6 | 10 Feb 2002 | Buick Invitational | −13 (71-72-67-65=275) | 1 stroke | J.L.ルイス, マーク・オメーラ |
日本ツアー (2)
編集- 1989 VISA太平洋マスターズ
- 1990 VISA太平洋マスターズ
その他 (1)
編集- 1995 Tournoi Perrier de Paris (with セベ・バレステロス)
関連項目
編集外部リンク
編集- ホセ・マリア・オラサバル - ヨーロピアンツアー公式サイト
- ホセ・マリア・オラサバル - PGA Tour.com
- ホセ・マリア・オラサバル - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール