ホアン・アイケルバーガー
ホアン・タイロン・アイケルバーガー(Juan Tyrone Eichelberger, 1953年10月21日 - )は、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手)。
クリーブランド・インディアンス時代 (1983年) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ミズーリ州セントルイス[1] |
生年月日 | 1953年10月21日(71歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1975年 ドラフト1巡目 |
初出場 |
MLB / 1978年9月7日 NPB / 1989年4月9日 |
最終出場 |
MLB / 1988年6月20日 NPB / 1989年5月9日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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経歴
編集カリフォルニア大学バークレー校から1975年、サンディエゴ・パドレスに入団。1978年、メジャーリーグ昇格を果たし先発投手としてパドレス時代には2年間で15勝を挙げる活躍をした[1]。1983年、クリーブランド・インディアンスに移籍。1988年、アトランタ・ブレーブスにて5年ぶりのメジャー昇格を果たすも、シーズン終了後にFAとなる。
1989年、春季キャンプでテストを受けヤクルトスワローズに入団。ストッパーとして期待されたが、この年4月9日の対巨人開幕第2戦(東京ドーム)で3対3で迎えた9回裏に来日初登板するも無死満塁のピンチを作り、原辰徳の打席で捕手の秦真司が後逸してサヨナラ負け(記録はアイケルバーガーの暴投[2])、敗戦投手となる[1]。なお、これについては、「捕手のはるか手前でワンバウンド」したと書くメディアがある[3]が、実際は内角高めのボールである。
その後も振るわず、他にラリー・パリッシュと郭建成が在籍しており当時外国人支配下登録枠が3名という制約があった下で、スワローズが新たにロン・デービスを獲得するため結局5月20日に解雇された[1]。球団史上最短の解雇選手となる。帰国後はマイナーリーグで投手コーチを務めている。
日本では全く活躍できなかったが、「日本プロ野球記録大百科」(日本野球機構発行)のプロ在籍全投手のトップに掲載されていたり、当時の日本プロ野球史上最長の登録名(他にレオン・マックファーデン、ベニー・ディステファーノ、ティム・マッキントッシュ、エリック・シュールストロム、ディーン・ハートグレイブス、ブライアン・ファルケンボーグの6名がタイ。2020年に9文字のコーリー・スパンジェンバーグが西武に、2021年にケビン・シャッケルフォードが横浜に入団した為現在は3位タイ)だったりと、在籍期間の短さと反比例して話題の多い選手だった。
エピソード
編集- 開幕前に川崎球場で行われたロッテ・オリオンズとのオープン戦でリリーフとして登板。当時、川崎球場は電光掲示板ではなく、ましてアイケルバーガーは春季キャンプ途中でのテスト入団の為、同選手の掲示板が用意されておらず、8文字の長い名前をどのように表示するのか注目を集めた。球場職員も悩んだようで、登板して3人目の打者を迎えるまで、選手名が掲示されない状況が続き、結局掲示板にチョークで大書きされたのは、「バーガー」の4文字であり、ロッテファンから大爆笑されたのは言うまでもなく、「マクドナルド」「ビッグマック」など嘲りの野次が飛んだ。その後、連打を浴びて失点。試合も逆転負けとなってしまった。また、野球中継では、テレビ局によっては長い名前でテロップが表示できず、「アイケル」と表示した例もあった。新聞では朝日新聞が「※アイケル=アイケルバーガー」と断りを入れたうえでアイケルと表示していた。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1978 | SD | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 17 | 3.1 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 4 | 4 | 12.00 | 1.80 |
1979 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 83 | 21.0 | 15 | 1 | 11 | 1 | 0 | 12 | 1 | 2 | 10 | 8 | 3.43 | 1.24 | |
1980 | 15 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | -- | .667 | 377 | 88.2 | 73 | 8 | 55 | 4 | 1 | 43 | 3 | 3 | 41 | 36 | 3.64 | 1.44 | |
1981 | 25 | 24 | 3 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 615 | 141.1 | 136 | 5 | 74 | 5 | 3 | 81 | 5 | 5 | 60 | 55 | 3.51 | 1.49 | |
1982 | 31 | 24 | 8 | 0 | 2 | 7 | 14 | 0 | -- | .333 | 771 | 177.2 | 171 | 23 | 72 | 5 | 2 | 74 | 7 | 3 | 98 | 83 | 4.20 | 1.37 | |
1983 | CLE | 28 | 15 | 2 | 0 | 1 | 4 | 11 | 0 | -- | .267 | 577 | 134.0 | 132 | 10 | 59 | 3 | 2 | 56 | 9 | 0 | 80 | 73 | 4.90 | 1.43 |
1988 | ATL | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 165 | 37.1 | 44 | 3 | 10 | 2 | 0 | 13 | 0 | 0 | 19 | 16 | 3.86 | 1.45 |
1989 | ヤクルト | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 39 | 7.2 | 9 | 0 | 7 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | 6 | 6 | 7.04 | 2.09 |
MLB:7年 | 125 | 79 | 14 | 1 | 4 | 26 | 36 | 0 | -- | .419 | 2605 | 603.1 | 575 | 50 | 283 | 20 | 8 | 281 | 25 | 14 | 312 | 275 | 4.10 | 1.42 | |
NPB:1年 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | -- | .000 | 39 | 7.2 | 9 | 0 | 7 | 1 | 0 | 6 | 2 | 0 | 6 | 6 | 7.04 | 2.09 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
編集- MLB
- 初登板:1978年9月7日、対シンシナティ・レッズ15回戦(リバーフロント・スタジアム)、5回裏に3番手で救援登板、1回無失点
- 初先発:1979年9月15日、対アトランタ・ブレーブス18回戦(サンディエゴ・スタジアム)、5回5失点で敗戦投手
- 初勝利・初完投:1979年9月21日、対ロサンゼルス・ドジャース16回戦(サンディエゴ・スタジアム)、9回1失点
- 初完封:1981年5月12日、対ニューヨーク・メッツ5回戦(ジャック・マーフィー・スタジアム)
- NPB
背番号
編集- 33 (1978年 - 1980年)
- 13 (1981年 - 1983年、1988年)
- 49 (1988年)
- 16 (1989年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 MLB、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- 個人年度別成績 ホアン・アイケルバーガー - NPB.jp 日本野球機構