ペドロ・グリフォル
アメリカの野球選手、監督 (1969 - )
ペドロ・オーランド・グリフォル(Pedro Orlando Grifol, 1969年11月28日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。シカゴ・ホワイトソックスの元監督。
シカゴ・ホワイトソックスでの監督時代 (2023年3月5日) | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | フロリダ州マイアミ |
生年月日 | 1969年11月28日(54歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 197 lb =約89.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1991年 MLBドラフト6巡目 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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経歴
編集現役時代
編集フロリダ州立大学では主力としてカレッジ・ワールドシリーズ優勝に貢献した。
1991年のMLBドラフト6巡目(全体154位)でミネソタ・ツインズから指名されプロ入り。ツインズ、ニューヨーク・メッツ傘下のマイナーチームでプレーするもメジャーへの昇格はなく、1999年に現役を引退した。
コーチ・監督時代
編集引退後はシアトル・マリナーズ傘下のマイナーチームでディレクターを務めた。
2013年にカンザスシティ・ロイヤルズ傘下のマイナーチームのコーチに就任し、同年5月にロイヤルズの打撃コーチ補佐に昇格した[1]。
2014年には捕手ディレクターに配置転換された。
2015年にチームは30年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を成し遂げた[2]。
2020年からはベンチコーチを務めた。
2022年オフにシカゴ・ホワイトソックスの監督に就任した[3]。
2023年8月5日のガーディアンズ戦の6回にホセ・ラミレスとティム・アンダーソンが乱闘を行ったが、グリフォルもこれに関わったとして退場処分を受けた[4]。このシーズンは61勝101敗で、球団で5年ぶりとなる100敗以上だった。
2024年は、20世紀以降で史上3球団目となる21連敗を記録[5]し、28勝89敗(勝率.239)となったところで8月8日にチャーリー・モントーヨベンチコーチらと共に解任された(後任の暫定監督はグレイディ・サイズモア)[6]。
詳細情報
編集年度別監督戦績
編集年 度 |
球 団 |
地 区 |
年 齢 |
試 合 |
勝 利 |
敗 戦 |
勝 率 |
順 位 |
備 考 |
ポストシーズン 勝敗 |
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2023 | CHS | AL 中 | 53歳 | 162 | 61 | 101 | .377 | 4 / 5 | - | |
2024 | 54歳 | 117 | 28 | 89 | .239 | 5 / 5 | 途中解任 | - | ||
通算:2年 | 279 | 89 | 190 | .319 | - | - |
背番号
編集- 48(2013年)
- 28(2014年 - 2018年)
- 7(2019年)
- 6(2020年 - 2021年)
- 12(2022年)
- 5(2023年 - 2024年)
脚注
編集- ^ “Royals make coaching changes” (英語). MLB.com. 2022年11月3日閲覧。
- ^ “Mighty KC! Royals rise in 9th, rule the World” (英語). MLB.com. 2022年11月3日閲覧。
- ^ “White Sox Name Pedro Grifol Manager” (英語). MLB Trade Rumors. 2022年11月3日閲覧。
- ^ “J-Ram, TA get heated as benches clear in Cleveland” (英語). MLB.com (August 5, 2023). August 6, 2023閲覧。
- ^ “ついに止まった!ホワイトソックスが連敗21でストップ 後半戦初勝利でMLBワースト記録は回避”. スポーツニッポン (2024年8月7日). 2024年8月18日閲覧。
- ^ “グリフォル監督を解任のWソックス サイズモアが暫定監督に就任”. MLB.JP (2024年8月9日). 2024年8月18日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)