ベンジャミン・ウィルソン (画家)

ベンジャミン・ウィルソン(Benjamin Wilson、1721年6月21日 - 1788年6月6日)は、イギリスの画家、版画家、博物学者である[1]。博物学者としては静電発電機を改良するなど、初期の電気に関する研究者の一人であった。

ベンジャミン・ウィルソン
Benjamin Wilson
自画像
生誕 (1721-06-21) 1721年6月21日
リーズ
死没 1788年6月6日(1788-06-06)(66歳没)
ロンドン
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略歴

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ウェスト・ヨークシャーリーズで生まれた。裕福な服地商人の息子に生まれた。父親は邸をフランス出身の装飾画家ジェームズ・パルマンティエ(James Parmentier: 1658–1730)に装飾させるほど豊かであった。父親の商売は上手くいかなくなった後、ウィルソンはロンドンに移り、事務員として働くが、ロンドンで画家のウィリアム・ホガースに勧められて、ホガースらが運営するセント・マーティンズ・レーン・アカデミー(St Martin's Lane Academy)で学んだ。

1746年に短期間、訪れたアイルランドのダブリンに1748年から1850年の間、滞在しそこで肖像画家、科学者として成功した。ロンドンに戻ると、グレート・クイーン・ストリート(Great Queen Street)のかつて画家のゴドフリー・ネラーが住んだ家に住んだ。有望な若手画家であったジョシュア・レノルズと肖像画家として競い合い、多くの収入を得るようになった。後にヨーク=オールバニ公爵を継ぐエドワード・オーガスタスに紹介され、支援をうけるようになり、公爵の私設の劇場の運営のために雇われ、1773年には公的な画家の仕事につくことができた。

科学者としては、 1751年に王立協会のフェローに選ばれ、トルマリン(電気石)の電気的な性質を調べ、1760年に王立協会のコプリ・メダルの受賞者になった[2]。電気の分野の研究者となり、電気の理論や避雷針の適した先端形状などでベンジャミン・フランクリンと異なる説を唱えた。ライデン瓶の蓄電容量がコーティングした金属の面積に比例し、瓶のガラスの厚さに反比例することも発見した。 1765年からサンクトペテルブルクのロシア科学アカデミーの名誉会員となった。

1777年以降は画家としての活動は少なくなった。画家の弟子にはリチャード・ブロンプトンヨハン・ゾファニーがいる。

作品

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参考文献

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  1. ^ For information, see Wilson, Robert (1862). “Chapter 1”. Life of General Sir Robert Wilson. London: John Murray. http://catalog.hathitrust.org/api/volumes/oclc/384002.html  See also Graciano, Andrew, ed (2012). “The Memoir of Benjamin Wilson, FRS: Painter and Electrical Scientist”. The seventy-fourth volume of the Walpole Society, 2012. Leeds, England: Walpole Society. OCLC 801575574 
  2. ^ Lee, Sidney, ed. (1900). "Wilson, Benjamin" . Dictionary of National Biography (英語). Vol. 62. London: Smith, Elder & Co. p. 82–84.