ベラ・ダヴィドヴィチ
ベラ・ミハイロヴナ・ダヴィドヴィチ(ロシア語: Бе́лла Миха́йловна Давидо́вич、Bella Mikhaylovna Davidovich、1928年7月16日 - )はアゼルバイジャン出身のユダヤ系ピアニスト。
ベラ ミハイロヴナ ダヴィドヴィチ | |
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1966年 | |
基本情報 | |
生誕 | 1928年7月16日 |
出身地 | ソビエト連邦アゼルバイジャン バクー |
学歴 | モスクワ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
経歴
編集アゼルバイジャンのバクー出身[1]。6歳よりピアノを始め、3年後にはベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第1番》をオーケストラと共演してデビューした。1939年よりモスクワに移って音楽教育を受け続け、1949年にハリーナ・チェルニー=ステファンスカと並んで、第4回ショパン国際コンクールの覇者となった。1949年にモスクワ音楽院を首席で卒業し、ソ連と東欧で首尾よく活動を開始した。翌年よりモスクワ音楽院で教鞭を執り始め、レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団とも共演した。
ヴァイオリニスト、ユリアン・シトコヴェツキー(1925年 - 1958年)と結婚した。ヴァイオリニストのディミトリ・シトコヴェツキーは息子である。1978年にアメリカ合衆国に亡命して米国籍を取得。1982年よりニューヨークのジュリアード音楽院で教鞭を執り、現在に至る。
近年は演奏家としてあまり活動しなくなったが、以前はショパンの専門家として知られ、安定した演奏技術の上に、スケールの大きさと彼女特有の美観を併せ持つ演奏をした。また、"フランツ・リストの再来"と絶賛されたことのあるラザール・ベルマンが「私より彼女のほうがショパンは上手い」と発言して注目を集めた。ショパンのほかに、スクリャービンやプロコフィエフの演奏も得意とした。CDは主にフィリップス・レーベルから発売されており、ショパンのピアノ協奏曲全曲、バラード、即興曲などの録音がある。
アンドラーシュ・シフ、ショシャナ・ルディアコフ(シュトゥットガルト音楽大学教授)、ジュリア・ジルバーキット、マキシム・モギレフスキー、 日本人ピアニスト の長島達也、ベトナム系アメリカ人ピアニストのクイン・グエンなどの弟子を世に送り出したことでも知られる。[2][3][4][5]
脚注
編集- ^ 吉澤ヴィルヘルム『ピアニストガイド』青弓社、印刷所・製本所厚徳所、2006年2月10日、57ページ、ISBN 4-7872-7208-X
- ^ “András Schiff” (英語). Zeneakademia.hu. 2020年5月29日閲覧。
- ^ “The Hour - Google ニュース アーカイブ検索”. news.google.com. 2020年5月29日閲覧。
- ^ “Bio-Japanese - Tatsuya Nagashima Pianist & Conductor”. www.tatsuya-pianist.com. 2020年5月29日閲覧。
- ^ “Quynh Nguyen | Pianist”. www.quynhpiano.com. 2020年5月29日閲覧。