ベラグア公爵領
ベラグア公爵領(スペイン語: Ducado de Veragua)は、1537年にスペイン国王カルロス1世によって、当時のスペイン領ベラグア(スペイン語: Gobernación de Veragua)の一部に設けられた世襲領地。1502年に設けられたスペイン領ベラグアは、現在のニカラグア、コスタリカ、パナマにまたがり、東縁はリオ・ベレン川(Río Belén)に至る植民地であった。
1537年に最初にベラグア公爵に封じられた提督ルイス・コロン・デ・トレドは、クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)の孫で、相続人であった。公爵領の設置は、スペイン王室と、より多くの領地を恩賞として求めたコロンブスの相続人たちの間で、永く続けられた領地をめぐる紛争の帰結であった。ルイス・コロンは、ベラグア公爵とともに、ジャマイカ侯爵(marqués de Jamaica)にも叙され、その後ラ・ベガ公爵にも叙された。
公爵領は1556年に王室に返還されたが、公爵位はその後もコロンブスの子孫たちによって代々継承され続けている。
歴史
編集ベラグア公爵領は、25レグア(およそ100キロメートル)四方の正方形で、現在パナマ領になっている、カリブ海に注ぐリオ・ベレン川の河口から、西へ向かって広がっていた。この辺りのパナマ地峡は、幅が25リーグもないので公爵領は太平洋に至った。それまでこの一帯におかれていたカスティーリャ・デ・オロ地域は、ベラグア公爵領の設定によって、東西に分断され、西側のニコヤ湾から公爵領との境界までの領域は、1540年に王領ベラグアと統合されてヌエボ・カルタゴ・イ・コスタリカとなった。
ベラグア公爵となったルイス・コロンは、領域内の各地に軍隊を派遣して、自らの権威を領域の隅々にまで及ばそうと努めたが、そうした軍事的試みは、先住民諸部族の本拠地における抵抗や、厳しい地形や気候に阻まれて、ことごとく失敗に帰した。この一連の戦闘の中で、公爵の弟フランシスコ・コロンは先住民の手にかかって落命した。
1556年、公爵ルイス・コロンは、爵位をそのまま保持し、毎年1万7千ダカットを地代として受領することを条件に、領地をスペイン国王に返上することを決断する。スペイン国王は1898年まで代々の公爵相続人に約束の金額を支払い続け、ベラグア公爵位は現在に至るまで存続している。2021年現在の当主は第19代ベラグア公爵クリストバル・コロンであり、家祖と同じ名前である。
1560年、スペイン国王フェリペ2世は、王領パナマの一部となっていた旧公爵領にベラグア州を設けた。この州の範囲は、現在のパナマ共和国ベラグアス県とほぼ重なっている。
歴代ベラグア公爵
編集歴代ベラグア公爵について、何代目かを数える場合は、実際に最初に侯爵位に封じられたルイス・コロン・デ・トレドの父で、最初に公爵位の確認を求めてスペイン国王に訴えを起こしたディエゴ・コロンを初代として数える場合が多いが、他の方法も混在ないし併用されることがあり、第何代という表現を用いる場合は、いずれによっているのかの判断に注意を要する[1]。現在のベラグア公爵を「第19代」とするのは、ディエゴを初代とする数え方によるものであり、下の表もこの考え方によっている。
肖像 | 爵位の代数 名前 (生没年) |
受爵期間 | 続柄 |
---|---|---|---|
初代ベラグア公 ディエゴ・コロン・イ・モニス・ペレストレーリョ (Diego Colón y Moniz Perestrello) (1474年頃–1526年) |
1509年 - 1526年 |
クリストバル・コロンの子 | |
第2代ベラグア公 ルイス・コロン・イ・アルバレス・デ・トレド (Luis Colón y Álvarez de Toledo) (生年不詳–1572年) |
1537年 - 1572年 |
先代の子 | |
第3代ベラグア女公 フェリパ・コロン・デ・トレド・イ・モスケラ (Felipa Colón de Toledo y Mosquera) (1550年頃–1572年) |
1572年 - 1577年 |
先代の娘 | |
第4代ベラグア公 クリストバル・コロン・デ・カルドナ (Cristóbal Colón de Cardona) (1545年–1583年) |
1577年 - 1583年 |
先代の従兄妹 (初代公の娘の子) | |
第5代ベラグア公 ヌーニョ・アルバレス・ペレイラ・コロン・デ・ポルトガル (Nuno Álvares Pereira Colón de Portugal) (1570年–1622年) |
1583年 - 1622年 |
先代の従兄弟の子 (初代公の娘の孫) | |
第6代ベラグア公 アルバロ・コロン・デ・ポルトガル・イ・エスピノーサ (Álvaro Colón de Portugal y Espinosa) (1598年–1636年) |
1622年 - 1636年 |
先代の子 | |
第7代ベラグア公 ペドロ・ヌーニョ・コロン・デ・ポルトガル・イ・カストロ (Pedro Nuño Colón de Portugal y Castro) (1638年–1673年) |
1636年 - 1673年 |
先代の子 | |
第8代ベラグア公 ペドロ・マヌエル・コロン・デ・ポルトガル・イ・デ・ラ・クエバ (Pedro Manuel Colón de Portugal y de la Cueva) (1651年–1710年) |
1673年 - 1710年 |
先代の子 | |
第9代ベラグア公 ペドロ・マヌエル・ヌーニョ・コロン・デ・ポルトガル・イ・アヤラ (Pedro Manuel Nuño Colón de Portugal y Ayala) (1676年–1733年) |
1710年 - 1733年 |
先代の子 | |
第10代ベラグア女公 カタリナ・ベンチュラ・コロン・デ・ポルトガル・イ・アヤラ (Catalina Ventura Colón de Portugal y Ayala) (1690年–1739年) |
1733年 - 1739年 |
先代の妹 (8代公の娘) | |
第11代ベラグア公 ハコボ・フランシスコ・フィツ=ハメス・ストュアルト・イ・コロン・デ・ポルトガル (Jacobo Francisco Fitz-James Stuart y Colón de Portugal) (1718年–1785年) |
1739年 - 1785年 |
先代の子 | |
第12代ベラグア公 カルロス・ベルナルド・フィツ=ハメス・ストュアルト・イ・シルバ (Carlos Bernardo Fitz-James Stuart y Silva) (1752年–1787年) |
1785年 - 1787年 |
先代の子 | |
第13代ベラグア公 マリアーノ・コロン・デ・ラレアテギ・イ・ヒメネス・デ・エンブン (Mariano Colón de Larreátegui y Ximénez de Embún) (1742年–1821年) |
1787年 - 1821年 |
先代の八従兄弟の祖父 (初代公の仍孫) | |
第14代ベラグア公 ペドロ・コロン・デ・ラレアテギ・イ・ラミレス・デ・バケダノ (Pedro Colón de Larreátegui y Ramírez de Baquedano) (1801年–1866年) |
1821年 - 1866年 |
先代の子 | |
第15代ベラグア公 クリストバル・コロン・デ・ラ・セルダ・イ・ガンテ (Cristóbal Colón de la Cerda y Gante) (1837年–1910年) |
1866年 - 1910年 |
先代の子 | |
第16代ベラグア公 クリストバル・コロン・イ・アギレラ (Cristóbal Colón y Aguilera) (1878年–1936年) |
1910年 - 1936年 |
先代の子 | |
第17代ベラグア公 ラモン・コロン・デ・カルバハル・イ・ウルタード・デ・メンドーサ (Ramón Colón de Carvajal y Hurtado de Mendoza) (1898年–1941年) |
1936年 - 1941年 |
先代の甥 (15代公の娘の子) | |
第18代ベラグア公 クリストバル・コロン・デ・カルバハル・イ・マロト (Cristóbal Colón de Carvajal y Maroto) (1925年–1986年) |
1941年 - 1986年 |
先代の子 | |
第19代ベラグア公 クリストバル・コロン・デ・カルバハル・イ・ゴロサベル (Cristóbal Colón de Carvajal y Gorosábel) (1949年–) |
1986年 - 受爵中 |
先代の子 |
ベラグア公爵家の系図
編集関連項目
編集出典・脚注
編集- ^ 例えば、外部リンクに示したサイトにも、代の表示には混乱がある。“Duques de Veragua”. GeneaAll.net. 2011年1月14日閲覧。
外部リンク
編集- スペイン語: “Duques de Veragua”. GeneaAll.net. 2011年1月14日閲覧。