ベネディクト・アントニオ・アンジェリ

ブラジルのサッカー選手、監督

アントニーニョポルトガル語: Antoninho)ことベネディクト・アントニオ・アンジェリポルトガル語: Benedicto Antonio Angeli, 1939年2月10日 - 2021年6月3日)は、ブラジルサンパウロ州出身のサッカー選手サッカー指導者

アントニーニョ
名前
本名 ベネディクト・アントニオ・アンジェリ
Benedicto Antonio Angeli
ラテン文字 ANTONINHO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1939-02-10) 1939年2月10日
出身地 サンパウロ州
没年月日 (2021-06-03) 2021年6月3日(82歳没)
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1956-1959 ブラジルの旗 パルメイラス 82 (15)
1959-1960 ブラジルの旗 ボタフォゴFC
1960-1961 イタリアの旗 ACFフィオレンティーナ
1962-1968 ブラジルの旗 ボタフォゴFC 188 (83)
1969 ブラジルの旗 アメリカFC
1970 ブラジルの旗 コメルシアウFCポルトガル語版
1971-1972 ブラジルの旗 セルトンジーニョFC
通算 270 (98)
監督歴
1982 ブラジルの旗 アメリカFC (サンパウロ)
1983 ブラジルの旗 ウベラバFC
1984 ブラジルの旗 コメルシアルFC
1985-1986 ブラジルの旗 フランカーナFC
1987 ブラジルの旗 インダイアトーバEC
1988 ブラジルの旗 ECピラスヌンゲンシ
1989-1991 ブラジルの旗 センタオンジーニョFC
1995 日本の旗 柏レイソル
1997 ブラジルの旗 ボタフォゴFC
1998 ブラジルの旗 ピラスヌンガFC
2004 日本の旗 清水エスパルス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

来歴

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現役時代はボタフォゴFCなど、国内リーグでのプレーが中心だったが、セリエAフィオレンティーナに所属したこともある。引退後もボタフォゴFCとの関りは深く、GM・監督から下部組織のコーチまで、様々な役職を務めた。

アントニーニョが日本でコーチをするようになったのは、息子のヘジスの様子を見にきたことがきっかけである。ヘジスは当時、旧JFL柏レイソルに所属していたが、そのころの柏にはGKコーチが居らず、現役時代にGKだったアントニーニョが練習を手伝うようになった。その後、1994年に正式にGKコーチに就任し、その年のJリーグ昇格に貢献した。 1995年2nd ステージでは、最下位の成績で監督を解任されたゼ・セルジオの後任として監督に就任し、1stステージ最下位だった柏を建て直しセカンドステージは、5位に導いた。柏には1996年まで在籍し、1995年のNICOSシリーズでは監督を、1996年には総監督を務めた。

2002年にボタフォゴFCのGMを辞任してからはフリーだったが、2004年清水エスパルス監督として9年ぶりにJリーグの現場に復帰したが、同シーズンの開幕から不振が続き、1stステージ終了後に辞任した。

2021年6月3日に死去した[1]

選手歴

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指導歴

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  •   ボタフォゴFCジュニアチームコーチ 1977
  •   ボタフォゴFCコーチ 1978-1981
  •   アメリカFC (サンパウロ) 1982
  •   ウベラバFC 1983
  •   コメルシアルFC 1984
  •   フランカーナFC 1985-1986
  •   インダイアトーバEC 1987
  •   ECピラスヌンゲンシ 1988
  •   センタオンジーニョFC 1989-1991
  •   ボタフォゴFCユース 1992-1993
  •   柏レイソルGKコーチ 1994-1995
  •   柏レイソル 1995.7月-12月
  •   柏レイソル総監督 1996
  •   ボタフォゴFC 1997
  •   ピラスヌンガFC 1998
  •   ボタフォゴFCコーチ 1999-2000
  •   ボタフォゴFC・GM 2001-2002
  •   清水エスパルス 2004

タイトル

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選手時代

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ACFフィオレンティーナ

脚注

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  1. ^ 訃報』(プレスリリース)柏レイソル、2021年6月4日https://www.reysol.co.jp/news/other/034219.html2021年6月4日閲覧 

関連項目

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外部リンク

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