ベネディクトゥス7世 (ローマ教皇)
ベネディクトゥス7世(Benedictus VII, ? - 983年7月10日)は、ローマ教皇(在位:974年10月 - 983年7月10日)。
ベネディクトゥス7世 | |
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第135代 ローマ教皇 | |
教皇就任 | 974年10月 |
教皇離任 | 983年7月10日 |
先代 | ベネディクトゥス6世 |
次代 | ヨハネス14世 |
個人情報 | |
出生 |
不明 教皇領ローマ |
死去 |
983年7月10日 教皇領ローマ |
親 | ダヴィドもしくはデオダトゥス(トゥスクルム伯家、スポレート公アルベリーコ1世の子) |
その他のベネディクトゥス |
トゥスクルム(Tusculum)伯の家系出身で、ダヴィド(David)という人物の子としてローマに生まれる。血脈はローマの支配者アルベリーコ2世(在位:932年 - 954年)と繋がり、またローマの有力貴族クレッシェンティウス家とも繋がる。教皇就任以前はストリ司教を務める。
神聖ローマ皇帝オットー2世の使者シッコ(Sicco)の影響下にあったローマ市の聖職者と市民によって教皇に選出される。この選出は神聖ローマ帝国と地元貴族の妥協によるものであった。
在任中、対立教皇ボニファティウス7世(在位:974年および984年-985年)を退位させ破門に付し、また皇帝オットー2世とともに修道院改革や教会改革を促進させている。981年3月にはサンピエトロ教会で開催した教会会議を主宰して、シモニア(聖職売買)の禁止を決議した。同年8月にはラテラノ教会でも教会会議を開催した。
またベネディクトゥス7世は甥のフィリッポ・アルベリキ(Filippo Alberici)を伴ってイタリア中部のオルヴィエートを訪れている。フィリッポは後になってオルヴィエートに居住し、1016年にはこの町の執政官となっている。