ベイビーシャンブルズ
ベイビーシャンブルズ (Babyshambles) は、元ザ・リバティーンズのメインソングライターの1人ピート・ドハーティが率いるイギリス・ロンドン出身のロックバンド。ドハーティがリバティーンズを一時脱退していた時に結成していたバンドだったが、メインプロジェクトになった。アルバムを3枚、EPを1枚、シングルをいくつかリリースしている 。
ベイビーシャンブルズ | |
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基本情報 | |
出身地 | イングランド ロンドン |
ジャンル |
インディー・ロック ポストパンク・リバイバル ガレージロック・リバイバル |
活動期間 | 2003年 - |
レーベル |
ラフ・トレード (2004年 - 2006年) Regal/パーロフォン/EMI (2007年 - ) |
共同作業者 | ザ・リバティーンズ |
公式サイト | www.babyshambles.net |
メンバー |
ピート・ドハーティ (ボーカル/ギター) アダム・フィセク (ドラム) ドリュー・マコーネル (ベース) ミック・フィットノール (ギター) |
旧メンバー |
Scarborough Steve (ボーカル) ジェイミー・ペレット (ベース) ピーター・ペレット・ジュニア (ギター) Seb Rochford (ドラムス) ジェマ・クラーク (ドラムス) パトリック・ウォールデン (ギター) |
メンバー
編集現メンバー
編集- ミック・フィットノール (Mick Whitnall) ギター。
元メンバー
編集- Scarborough Steve ボーカル 03 - 03。
- 元リバティーンズ。
- ジェマ・クラーク (Gemma Clarke) ドラムス 04 - 05年1月。
- 女性ドラマー。マネージャーとの意見の相違により脱退[3]。
来歴
編集初期
編集2003年の中頃、ドラッグ問題を解決しない限りバンドに参加することを拒絶されたドハーティは、元リバティーンズのスティーヴ・バーロウをボーカルに迎えバンドを結成する。ベイビーシャンブルズのファースト・ギグが予定されていた夜、ドハーティはカール・バラーのフラットに強盗に入り逮捕される。
ドハーティは2か月の禁固刑の判決を下され、服役する。釈放後、リバティーンズに復帰。限定版シングル「ベイビーシャンブルズ」を2004年4月にリリース。
2004年初夏、ドハーティはドラッグ使用によりリバティーンズを再び脱退。ベイビーシャンブルズに専念するようになり、パトリック・ウォールデンをギター、ジェマ・クラークをドラムス、ピーター・ペレットの2人の息子、ジェイミーとピーター・ジュニアをそれぞれギターとベースとして迎える。2004年晩夏、ドハーティがボーカル、ジェマ・クラークがドラムス、パトリック・ウォールデンがギター、ドリュー・マコーネルがベースとなる。
UKツアー
編集2004年11月29日、シングル「キラマンジャイロ」をラフ・トレード・レコードからリリース、全英8位を記録。
ブラックプールのギグでは、ドハーティが酒に酔い満足に立っていることもできない状態だったので、他のメンバーがステージから下りてしまう[4]。また、ロンドン・アリストロのギグではドハーティが姿を現さず暴動が起きた[5]。
2005年1月、ドラマーのジェマ・クラークが脱退[3]。アダム・フィセクが加入。
デビューアルバム『ダウン・イン・アルビオン』
編集2005年4月 - 5月、元ザ・クラッシュのミック・ジョーンズをプロデューサーに迎えスタジオ入りする。2005年11月14日、デビューアルバム『ダウン・イン・アルビオン』をリリース、全英10位を記録。8月15日、アルバムからの1stシングル「ファック・ フォーエバー」をリリース、全英4位を記録。11月28日、2ndシングル「アルビオン」をリリース、全英8位を記録。
2005年7月、オアシスのUKツアーのサポートに抜擢されるが、ドハーティがケイト・モスとファッションデザイナーのエディ・スリマンの誕生日パーティに出席。ドハーティが時間内に会場入りできなくなったため、オアシスはサポートをキャンセルした[6]。
2006年 - 2007年
編集2月、パトリック・ウォールデンが脱退。
NMEアワーズで「アルビオン」を披露、ドハーティは「セクシーな男性アーティスト」に選ばれる[7]。
10月、ジョー・ストラマーのチャリティ団体のために、チャリティ・シングル「ジェニー・ジョーンズ」をリリース。収録曲はザ・クラッシュの「ジェニー・ジョーンズ」のカヴァー・ソングであり、ラリキン・ラヴ、ダーティ・プリティ・シングス、ウィー・アー・サイエンティスツ、クークス、ギリーマッツなどのバンドも参加している[8]。リバティーンズ解散後、初めてのバラーとドハーティのコラボレーションとなったが、一緒にレコーディングしたわけではなかった[9]。
2007年1月、パーロフォンと長期契約を結ぶ[10]。2007年夏、グラストンベリー・フェスティバルに出演。
『ショッターズ・ネイション』
編集2007年10月1日、2ndアルバム『ショッターズ・ネイション』をリリース。プロデューサーはスティーヴン・ストリート、「ロスト・アート・オブ・マーダー」ではバート・ヤンシュが参加している[11]。
2007年11月、ファースト・アリーナ・ツアーを行う。MENアリーナ、ウェンブリー・アリーナ、ナショナル・インドア・アリーナなどでライヴを行う。
2007年12月3日、アルバムからの2ndシングル「ユー・トーク」をリリース。
2008年
編集レディング・フェスティバルに出演。
ディスコグラフィ
編集スタジオ・アルバム
編集発売年 | タイトル | UKチャート |
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2005年 | ダウン・イン・アルビオン (Down In Albion) | 10 |
2007年 | ショッターズ・ネイション (Shotter's Nation) | 5 |
ライブ・アルバム
編集発売年 | タイトル | UKチャート |
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2008年 | ベイビーシャンブルズ・ライヴ!〜OH ! ホワット・ア・ラヴリー・ツアー (Oh! What A Lovely Tour) |
- |
EP
編集発売年 | タイトル |
---|---|
2005年 | ファック・フォーエバー (Fuck Forever) |
アルビオン (Albion) | |
2006年 | ザ・ブラインディング EP (The Blinding EP ) |
シングル
編集発売年 | タイトル | UKチャート |
---|---|---|
2004年 | ベイビーシャンブルズ (Babyshambles) | 32 |
キラマンジャイロ (Killamangiro) | 8 | |
2005年 | ファック・フォーエバー (Fuck Forever) | 4 |
アルビオン (Albion) | 8 | |
2006年 | ジェニー・ジョーンズ (Janie Jones) | 17 |
2007年 | デリヴァリー (Delivery) | 6 |
ユー・トーク (You Talk) | 54 |
脚注
編集- ^ 「カジヒデキ、日英合同スプリット盤で新曲を発表」 ナタリー、2008年6月10日。
- ^ 「BABYSHAMBLESとTHE STROKESのメンバーが共作、リリースの可能性を探る」 bounce.com、2008年3月5日。
- ^ a b 「ベイビーシャンブルズ、ドラマー脱退。ピートは早くも失恋?」 BARKS、2005年1月28日。
- ^ 「ピート、歌詞を忘れてショウをキャンセル」 BARKS、2004年12月17日。
- ^ 「ベイビーシャンブルズ、ショウなくしてツアーを終了」 BARKS、2004年12月20日。
- ^ 「オアシス、ピートを解雇、ズートンズをサポートに」 BARKS、2005年7月11日。
- ^ 「NMEアワーズ発表。A・モンキーズが3冠」 BARKS、2006年2月24日。
- ^ 「ピートとカールのコラボ、リリース日が決定」 BARKS、2006年9月20日。
- ^ 「カールとピート、ついにコラボ」 BARKS、2006年8月31日。
- ^ 「ベイビー・シャンブルズ、Parlophoneと長期契約」 BARKS、2007年1月22日。
- ^ 「ベイビー・シャンブルズ、“まさか”の2ndアルバム完成!!」 リッスンジャパン。